手袋を嵌める時

 手袋を嵌める時。それはいつだろうか。

 寒くなったら。冬になったら。でも、それはいつからだろうか?

 最近の天気予報は便利なもので、服装のアドバイスもしてくれるものが多い。今日はトレンチコートが必要、厚手のコートがいいですよ、という感じなので、上着についてはその助言に従って選んでいるのだが、手袋を出すタイミングがいつも掴めない。

 ある時、無意識に、雪が降ったらするものと思い込んでいるせいだということに気がついた。北国では手袋がなければ指先は容易に凍える。手袋無しでは歩きながら雪玉を拵えることもできないしので重大な機会損失である。

 ところが雪が降らない地方では、そもそも雪が降ることが少なく、あっても非常に限られている。雪を基準にしていては、そもそも手袋をすること自体の機会が損失されてしまう。

 雪が降らないということは、そもそも雪が降らない程度には暖かいということなのだから、手袋は必要ないのではなかろうか。そんなことを考え出すと、ますます手袋をする機会が失われていく。

 同じく北国在住経験のある友人にこの話をしたら、

「たとえ周りの誰ひとり手袋をしていなかったとしても、手が冷たいなと思ったら手袋のしどきよ」

 と助言をもらった。

 確かにそのとおりだ。そのとおりなのだが、今の所冷たいけれどそこまでではないという感覚であり。未だに手袋をクローゼットから取り出してもいないのである。

 この季節は、雪が恋しい。

秋の装い

 秋になると、何を着ていいかわからなくなる。毎年のことだ。何故なら、生まれ育った北国は温かい日と寒い日しかなかったからだ。

 そうは言っても東京に住んでそれなりに経つので、少しずつ『本州の秋』に対応できるワードローブは増えてはいる。増えてはいるのだが、本州の秋を読み切る心持ちがないのである。北国育ちにとって、寒いというのは命に関わるレベルの話だ。寒い=雪が降り、吹雪けば家の近所でも遭難することが可能なのだ。

 上京してすぐはつい地元にいるときの癖で、厚着をしがちだった。寒くてコートを着たら、中はもこもこのセーターなのである。しかし東京の人は、コートを脱いだらお洒落なフェイクファーのついたキャミソールだったりするから驚きだ。寒いなら厚着をするべきだ、という本能の叫びに耳を塞ぎ、自分の感覚で言う肌寒い夏の日の服装に上着やストールを足すくらいが丁度よいらしい、とわかってきたのは割と最近のことである。朝家を出て寒いと思ったら慌てて上着を取りに帰っていたが、今はそれをしなくなった。肌寒いくらいが丁度よい。日中に太陽によって空気が温められるだけでなく、都心は人いきれや排熱で思ったより温度が高くなり、蒸し暑くなる。

 そうした経験値を得るまでにだいぶかかった。今までの常識を捨てるのに時間がかかたっと言うべきか。九月に入ればもう秋でまもなく雪が降るという感覚だったので、秋の紅葉も九月だと思ったまま、関東であちこち紅葉狩りに出かけてはまったく紅葉していなくて失敗したことも屡々。都会の秋は十一月なのだ。十月も半ばだが、コートにはまだまだ早い。

 薄い長袖に上着、でも満員電車では暑くなる。かと言って満員電車だからと冷房が入っていて、吹出口の直下だと寒くて堪らない。都会の温度調整は難しい。まだ半袖を着ている人もいて、中には自分と同じ寒がりなのか既にジャケットを着ている人もいて。いろんな服装の人が入り交じるのが、都会の秋の光景のひとつだと思う。

板の上で生きる人

 芝居というものが好きだ。自分が芝居を囓っていたこともあって、真剣に役者をしている人にとても惹かれる。中でも、舞台役者が特に好きだ。

 芝居というのは難しいもので、テレビドラマで上手に役を演じられる人がアニメの吹き替えがうまくできるとは限らないし、舞台役者が映画用の演技ができるとも限らない。(その場に合った演技に合わせることができる器用さのある役者は、違うジャンルに行っても成功するわけだ。)種類が違うからだ。

 ドラマや映画なら、物語は一度で終わる。リテイクなどはあるにしろ、物語の流れ自体は普通一度だ。しかし監督のやり方にもよるが、撮影は物語の時間軸通りではなく、効率の良い順番で撮られていく。

 これに対して舞台は、物語の時間軸通りに過ぎていく。役者と観客は同じ時間の流れを同じ時間で共有する。役者が一分間笑い続けていたら、客にとっても役者が笑っているのは一分。叫んだら、劇場の空間自体が震える。これが生身の演劇の面白さだと思う。

 そしてもうひとつ大きく違うところ。毎日同じことを繰り返すということだ。

 映画などでもリハーサルなどはあるし、個人でセリフを返すことはある。

 だが舞台は何日も稽古を繰り返し、本公演が始まれば始めから終わりまでを毎日、多ければ一日に二度三度と繰り返す。

 何度も同じ人生を生き直すのだ。

 毎朝鏡に向かって「おまえは誰だ」と言ったり、毎日同じ時刻に泣いたりすると精神異常をきたすという話がある。

 舞台演劇というのは、言ってしまえばこの行為に近い。毎日自分ではない人になって、知っているはずの知らない人と話す。毎日毎日、自分ではない誰かの人生を繰り返し生きるのだ。謂わばループである。

 だんだん自分が誰かわからなくなって怖くなった、と役者をやめる人もいるくらいだ。

 ループものがSFやミステリのジャンルとして存在するほどだから、怖くなるのも当たり前だと思う。

 自分は素人演劇なので大したことはないが、それでも台本をもらってから本番が終わってしばらくあとまでは、

役のキャラクターが抜けなかった。常にもう一人の自分がいてその言動の癖が抜けなくなる。自分が喋っているようでいて、そうではない感覚なのだ。

 初恋をして裏切りに遭い、友を失い、大切な人を亡くし、自分も殺されるような人生を、二時間程度に色濃く凝縮した物語の中で毎日生きる。

 一言で言うなら、 壮絶 である。

 役者と言ってもいろんなタイプの人がいるから、板から降りれば素の自分に戻れてしまう人もいれば、私生活もずっと役に引っ張られるという人もいる。

 あまりにも凄まじい役を演じていた方がインタビューで前者のタイプだと答えておられて安心したり、反対に後者で、期間中はプライベートでも笑えなくなってしまったと仰っていてそわそわしたりしてしまう。

 役者は手の振り上げ方ひとつとっても、演じている役がこれまで生きてきた人生を考え、その人ならどう手を挙げるかを考えて演じてくれる。

 台本にない、舞台の上でも描かれないその人の人生を、役者は知っている。

 逆に言えば、そこまでストイックに役を追い求めてくれる役者を尊敬するし、惚れざるを得ない。

 目の前で人が笑い、叫び、涙を流す。剥き出しの人生を垣間見る行為。

 凄い舞台を見た時は、見終えた後ぐったりしてしまう。これは、人の人生を手出しできない状態で見守るしか無い、全知全能ではない神や守護霊のような視点で間近で見るからなのだと思う。

 この感覚が、観劇に魅力のひとつだと思っている。

 ひとりの人間の生き様が、板の上には二時間に凝縮されて載っているのだ。

花を摘むひと

 自分の親は、中々ロマンチストであった。劇的な再会からの、君なしじゃ生きていけない系プロポーズ。父の机の引き出しには、若い頃デートした時に撮影した母の写真が手作りの小さな木のフレームに収まって大事に仕舞われていた。写っている母の姿がまた、腰まであるストレートの黒髪に白いワンピース、頭には麦わら帽子。手には手作りのお弁当の入ったバスケットという完璧さだ。

 これが普通だと思って幼少時は生きてきたので、友達に自分の親のことを話すと度々「うちの親はそんなことしないよ!」と言われていた。

 ある時友達を連れて実家に帰り、母が留守番をして父が運転手役を買ってくれて近郊を観光案内したことがある。車を降りて散策しているときに、原っぱにユキノシタが咲いているのを見つけた。

 父は、

「可愛い花だ。お母さんに摘んで帰ろう。お母さん花が好きだから」

 と言って少し摘んで持ち帰った。

 私はそうだねと同意していただけだったが、友は、優しい、ロマンチック! と驚いていた。

 ユキノシタは父の手によって持ち帰られ、母の手によって小さな花瓶に生けられて食卓に飾られ、暫く私達の目を楽しませてくれた。

 私は花は勿論のこと、父も母も、可愛いと思うのだ。

食べ物の恨みとひとりっこの憂鬱

 父も母も兄弟がいたが、自分はひとりっこだ。

 食事やおやつは基本的には個別に盛られるが、大皿に盛られても特に自分の基本スタンスは変わらない。全体量から見てその場にいる人数で割り、自分の割当の分だけを食べる。

 だが、度々母に「あんたはのんびりしてるなぁ」と言われた。

 自分としては別にのんびりしていないし、どちらかと言えばせっかちな方なのだが。母曰く兄弟がいると食べ物は争奪戦になるから、万が一大皿で盛ってこられた日には率先して食べたい量を取皿に取って置かなければすぐになくなってしまうというのだ。

 個人的にはそれを聞いても、等分にするのが当たり前だと思っていた。たとえば三人いてロールケーキが一本あったなら三つにカットするし、もし始めから六切れにカットしてあった場合は二切れずつ食べる。

 余ったなら欲しいと言い出すとしても、そうでないのに人の分まで取る必要はないし、自分さえ多く食べられたらそれでいいなんてさもしいことを言い出す人なんていないと思っていた。

 そんなことはあまりに身勝手ではないのか。

 そんな考えだったので、まず数を数えて、自分がとって良い数をチェックした。パーティや会社の飲み会でもそれで困ることはなかったので、ずっとそれで通してきた。学生時代も女子校出身なせいか、等分でシェアするのが当たり前だった。

 しかしオフィシャルではなくプライベートな空間で男友達といる場合に不具合が出てくるようになってきた。

 彼らは、勝手に食べてしまうのである。二人でいてお菓子が三個あっても、「最後の一個はどっちが食べようか」とか「はんぶんこしようか」とかいう話は言い出さない。問答無用で二個食べるし、あまつさえ三個目に手を伸ばそうとすらする。

 四個のお菓子を前に三つ目に手を出すので、「四個だったから二こずつだよ」と指摘しても、そもそも自分がいくつ食べたのかを数えていない。数えているこっちが細かい、食いしん坊だと言われる始末だ。

 クッキーの詰め合わせを頂いたけれど自分は体調不良で寝込んでいて戸棚にしまっていたら、自分が逆の立場だったら新品の箱なので食べるとしてもまず開けていいか相方に確認するし、自分が食べていいのは全体の半分である。ひとつしか種類がないものは相方がどの味が食べたいか確認できるときに食べるべきなので手を付けない。

 だが彼らは平気で全部食べる。半分を超えるどころではない、ひとつも残さない。

「元々私がもらったのに」「食べたかったのに」「どうして一個も残しておいてくれないの?」

 と言ったところで、「おいしかったよ」と言うだけでごめんねなんて絶対に返ってこないのだ。

 こいつらどういう育ち方をしているのだ、と思ったが、よくよく考えるとみんな兄弟がいるのだ。

 母が言っていたのはこういうことなのだろうか。

 食べられない為に文字通り唾を付けたり、取皿に盛ったものまで取られたりするというシビアな闘いが繰り広げられるのは、昭和の漫画の世界だけではなかったのか。中々カルチャーショックである。

 あったら食べてもいい、という考えなら、名前を書いておくという古典的なことをしても運が悪ければ多分食べられてしまうのだろう。つまり戸棚にしまっておいてはいけないということなのだろうか。

 彼らにははんぶんこという概念はないのか。

 ひとりっこの自分には解せないのである。

知識のアップデート

 時々、『ファッションはその人のピーク時で止まる』という話を聞くことがある。ピーク時はお洒落にも気を配っていて、その時の流行りのアイテムをワードローブに詰めていたけれど、ピークを過ぎてお洒落にも気を配らなくなって、最新のアイテムを取り入れることがなくなっていく。その状態で「今日はお洒落をしよう」と思い立っても、そのワードローブで出来る、自分の当時の知識できるお洒落だから”古い”ファッションになってしまう、というのだ。

 ファッションは周期があって、ちょっと変わりつつも流行は繰り返すものなので、うまく一周していれば寧ろ最先端になり得るとは思うし厳しい話だが、まぁ確かにそういう面というのはあるのだろう。

 

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 最近読んでいる槇村 さとる先生の『Real Clothes』 にもそんな場面が出てきた。そしてこの漫画の感想でも、「この髪型ダサい」という最近の若い人の感想があり、「当時は流行っていたんだよ、私もしてたよ」という今三十代、四十代かと思われる人の返信があって、流行の移り変わりというものを感じた。

 お洒落に興味がある人は、いくつになっても最新の流行に気を配り、その中で自分のスタイルに合うものをうまく取り入れてワードローブがアップデートできるのだと思う。

 これはファッションだけに限らず、どんな分野でも言えることではないだろうか。

 先日映画館に映画を見に行ったとき、近く老夫婦が座っていた。仲睦まじく微笑ましい、と最初は思っていたのだが、禁止事項である飲食物の持ち込み、上映中のお喋りが激しく、しかも持ち込みの食べ物が買ってきたのか自宅で揚げてきたのかパックに入れたコロッケで、臭いとパックの音が酷かった。

 確かに昭和時代には持ち込みOKの映画館も多かっただろうし、映画館で買うより持ち込んだ方が安いから立派な節約のうちだったろう。

 劇場にお芝居を観に行った時も似たような目にあった。多分昭和の映画館と同じ感覚なのだろう。十人ほどの団体のおばさま方が飴をシェアし、この時点っではまぁグレーかなと思っていたら、コンビニで買ってきたカップ入り飲料をずごごごごっと遠慮なくすすり、お菓子を開封して袋を回してシェアし始め。その芝居には年配の有名な役者さんが出ておられ、多分その方目当てだったのだろう。その方が出てきた途端「きゃー、◯◯さんよ」「やっぱりいい男よねぇ」とお喋りが始まった。

 歌舞伎の大向こうでもあるまいに、勘弁していただきたいと思ったが、映画館にしろ劇場にしろ始まってしまっていると、注意してやめてもらいたくても立っていって声をかけて止めてもらうというのはかなりハードルが高い。下手をすると自分のその行為がまた他の方々の迷惑になりかねないので、ひたすら耐えるしかなかった。

 映画でも芝居でも、見に行こうと思った時にふと思い立って会場のサイトの注意事項を確認してみるとか、チケットの裏面にある注意事項をよく読むとかいったことをすれば書いてあるような、基本的な禁止事項のはずだ。

 だが、アップデート出来ていない人というのはアップデートをしない人な訳で、そうした行為はしない。そうすると、自分の中の間違った知識、または古い知識のまま進んでしまう。

 これはなかなか怖いことだ。

 自分の専門分野なら兎も角、どんなジャンルでもアンテナを張っておくことというのは難しい。思い込んでしまっていることを改めて確認しようと思いたつことも難しいだろう。

 それでも多分、注意深く周りを観察する、話を聞くということをすれば、多少なりともアップデートする機会は得られるのではないだろうか。

 アップデートできないままではいたくないし、アップデートできないだけならまだしも、自分が古いだけなのに「最近の若い者は」「流行りに飛びつくなんてミーハーなことはしたくない」なんて正当化するようなことはしたくない。

 悪気はなくても周りに迷惑をかけることになりかねない行為なので、いただけない。

 ときにはワードローブも脳内も、断捨離して空気を入れ替えることが必要だなと自戒をこめて思う。

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車という趣味

 私が車を好きになったのは、小学校二年生くらいの話だと思う。

 父親がギアチェンジをする様子が面白くて、助手席に乗ってそれをずっと見ていた。タコメーターなんてまだわかっていなかったけれど、体感でぶーんという音がこれくらいになったらギアを変える、みたいなことは分かってくる。私有地で父親がクラッチを切ったタイミングでギア操作だけさせてもらうのが楽しみだった。

 車の後ろにキャンプ道具と愛犬を乗せてオートキャンプに出かけるのも好きだった。

 そんな訳で、二十歳になって車の免許を取れるとなったとき、迷うこと無くマニュアルで取った。既に世の中は普通オートマという流れになっており、その教習所でMTで教習を受けている女の人は自分しか見かけなかったくらいで、班で行う実習も常に紅一点だった。それでからかいたくなるのか、教官には「あんたがタイヤもちあげられたの、ひとりで? 本当に?」みたいないじりをよくされていて、未だに嫌な思い出のひとつだったりする。  まぁそれはさておき。

 類は友を呼ぶのか、周りには車好きの人が多く、今はお金が無くて車が買えないけど実家に帰ると乗り回しているとか、やっと愛車を買ったとか、そんな知人たちばかりだったので、最近の若者は車を欲しがらないし、必要性を感じていないといったニュースについては、そんな人もいるんだろうか、程度で、最早都市伝説のレベルで遠い存在だった。

 これが最近、ついに車を欲しがらない若者と実際に接する機会があったのだ。

 相方が車好きで、欲しいし便利だし、と言っていても「いらない」の一点張り。交際中は兎も角めでたく籍を入れたら優先順位が変わってOKが出るかと思いきや、変わらず「車なんていらない」のだそうだ。

 詳しく話を聞いてみると、そもそもその人の実家でも車を持っていなくて、町中を移動するのに電車とバスで十分という環境で育っているそうで。それなら、必要だなんて思うはずもなかろうと納得した。

 生粋の都会っ子にとっては車は不必要な贅沢品で、相方が欲しがっている高価な玩具、家計を預かる者として止めるのは当たり前、くらいの考えにもなりそうだ。

 車というのは自分のような田舎育ちの人間からしたら貴重な足であり、寧ろ車があるから公共交通機関は殆ど利用しなかった。

 必要だから、というのとは別に、冒頭にあげたように自分で操作するというのが楽しくて好きになったが、そのどちらの感覚も無い人にとっては無用の長物な訳だ。

 若者の車離れだなどと言われるが、同じ年齢でも育ってきた環境で必須と思う人、無用と思う人といるし、あれは若者が興味を失ったというより色んな問題を内包しているとは思うが、それもここでは置いておくとして。

 車も進化して、自動運転の実用化もそんなに遠い未来ではなさそうな昨今、自分でギアを操作するMTの需要が減り、その内自分で運転をすること自体が特殊になっていくのだろう。

 レンタカーやカーシェアリングなどのサービスもあるから、確かにうまく利用すれば自家用車を持つ必要はないのかもしれない。

 車好きな自分としては寂しい限りだが、マイカーを持ち、それを自分で運転するというのは、この先贅沢で風変わりな趣味のひとつとなっていくのかもしれない。下手をすれば緊急時以外の手動運転が禁止になる可能性すらある。

 折角苦労して免許もとったのだし、乗れる間は安全運転を心がけて乗り回したいものだ。

#prose

子燕の旅立ち

 よく通る商店街に、防犯カメラがついている。そこに去年燕が巣を作ったが、真下を人が通る場所である。頭上注意、と書かれたカラーコーンが置かれていた。雛が旅だった後、巣は奇麗に取り除かれ、鳥よけのトゲトゲした形のネットまで巻かれる万全の体制が取られた。

 と思いきや。ネットが上手く足場になって作りやすいとばかりに、そのトゲトゲの間に埋めこむように今年も巣が作られた。また注意を促すカラーコーンが置かれる。よく人が立ち止まってにこにこして見ているのを見かけた。自分もその中の一人である。

 八月に入って、親鳥が少し離れた箇所につけられたスポット照明の上に止まるようになる。その向かいにあるお店の看板のところに、オーナメントのように成長した子燕たちが並んでいた。飛び方を習っているのだろう。

その翌日も同じところに親も子も止まっていたが、ついに翌々日、親だけになって子供の姿はなかった。巣立っていったのだろう。

 子燕は季語にもなっているくらいで、古くから歌にも読まれてきた。育つのを楽しみにし、巣立つと少し寂しく、しかしまた嬉しくもなる。

 来年は果たして、同じ場所に巣が作られるのだろうか。それとも商店街の方で鳥よけネットを倍増させるのだろうか。糞害などの対策に追われる商店街の方には申し訳ないが、来年も元気な姿を見せて欲しい気もしている。

 

#prose

人生にリセットボタンは無いけれど

 恐らく、人よりは比較的引越しをよくしている。理由は、子供の頃は父の仕事の都合があげられる。それで引越したのが四回。大人になってからは今の所六回。

 大人になってからはたと気がついたのは、好きな場所に住んで良いということ。学校や職場の近くにしても良いし、犬が飼える物件にするも良し。住みたい町に住んでそこで仕事を探すという手もある。

 考え方が農耕民族か騎馬民族かで違うかも、という話を、以前知己としたことがある。私はあまり土地に対して思い入れが無い。と言うと語弊がある。郷土愛はある。ただ、どうしてもそこにとどまらなければいけないという感覚がない、と言えば妥当だろうか。転職に対しても抵抗がなく、まぁ選ばなければなんだってあるだろう程度の感覚でいる。

 だからこそ、更新の時期やなんとなく気分を変えたいときに引越しをする。

 引越しの作業自体やそれに纏わる手続きが面倒ではないのかと訊かれたことがあるのだが、面倒ではあるもののそれ以上に楽しいのだ。知らなかったことを知り、経験したことがなかったことを経験するのが楽しい。初めて頼んだ引越し屋、初めて行く町の役所、初めて通る路地裏。ポストの場所もわからず、歩いている内におしゃれな喫茶店や雰囲気の良いパン屋を見つけて自分の中に徐々にマッピングされていくのが楽しいのである。

 人生はセーブデータを引っ張り出してあと戻ることはできないけれど、オートセーブはされている。リセットして零からやり直しはできないけれど、一部だけのリセットはできる。自分にとってのリセットボタンのひとつが、引越しなのだ。

 知らない場所、知らない人ばかりの職場。

 そう言えば、転校を周りの大人たちは「可哀想に」と同情してくれたが、当の本人は楽しみにしていたのも今思い返せば同じなのだろう。新しい学校、新しい友達。

 人生のリセットボタンは、零にはならない。リセットして気持ちを切り替えても、経験は積み重なっていくし、縁があれば知己も増えていく。

 とは言え、大好きな町に身を落ち着けるというシチュエーションも憧れが無い訳ではない。終の棲家を見つけるための、まだ旅の途中なのかもしれない。

#prose

電気ブランの思い出

 女はタイミングだと言われることがある。そんなのタイミング次第で、男としては努力できることがなにもない、お前たちの気分次第で可不可が決められるではないか、と。

 でも、実はそういうわけでもない。タイミングというのは天運とイコールではないのだ。

 電気ブランというお酒がある。明治時代にできたブランデーベースのカクテルで、電氣ブランデーというのが元の名前だった。

 何故電気かと言えば、電気が珍しかった時代、新しいものに電気◯◯とつけるのが流行していたからだそうで、現代の感覚から言えば全く電気は関係がない。そしてブランデーベースではあるが、ワインやジンなどをブレンドしたリキュールなのでブランデーではない。そこで、「ブラン」になった。

 なんともレトロな雰囲気の漂うお酒なのである。

 ある時連れて行っていただいたお店に、電気ブランが置いてあった。

 丁度『夜は短し歩けよ乙女』を読んだばかりだったので、ひとり興奮した。

 このお店に連れてきてくださった方は、私が電気ブランを飲んでみたいと思っていたことなどご存知ではない。なぜ「うわー、電気ブランだー!」と興奮しているのかもおわかりではない。それでも、飲んでみたいけれど自分が飲める味なのか気にする私にどんな味なのかを説明してくださり、飲めなかったら自分が飲むからと言ってくださった。それで背中を押されて頼んでみた。

 初めて飲んだ電気ブランは、とても甘くて少しアルコールが強く、ピリッとしてとても美味しかった。

 電気ブラン自体が美味しかったというだけでなく、たまたま読んだ本に出てきた、それが目の前にある、意図せず出会えた、このお店に今このタイミングで連れてきてくださった、なんて、流石だなぁ! と思った。

 そんなの偶々ではないか、と思われるかもしれないし、確かにそれは偶々なのだが、それだけではない。背中を押してくださるスマートさ、どんな味か説明できる知識の豊富さなどの様々な要因が重なった結果、してくださったこと全てが有り難い、嬉しかったという印象として、電気ブランの美味しさと共に心に残っている。

 普段から紳士的な振る舞いをされる方で、とても頭の良い方なので、余計にそんな印象になるのだ。

 という話を友人としていたら、

「全然紳士じゃないよあの人。俺たちといる時はシモネタだって酷いよ」

 と言われた。

 そう言われても、それはそうでしょうねぇという気持ちになった。男同士で盛り上がればそんな話になることもあるだろう。

 羽目を外す時は外せるし、女性の前で下品なことを言わないデリカシーを持ち合わせているのであれば、寧ろやはり紳士なのではないか。

 偶々だとしても結果が全て。その結果を引き寄せてくれたのは他でもないその人であり、その人の持つセンスや性格や知識なのだから、こちらとしては偶然ではなく必然に近いのである。

#prose

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