ゲーム実況、歴史開設動画などをあげていく予定です。
過去に上げた動画も少しずつUPしていきます。
投稿者: saya
港町の短い夏の一日 – (読切)公開しました。
ごろごろさんぽ サイト作成
ブログを更新しました。『百考は一行に如かず』
百考は一行に如かず
本を筆写したことがある。と言うと、大体「いつの時代の人?」というリアクションをもらう。まぁ確かにそのとおりだとは思うのだが、子供の頃で小遣いも足りず、さりとて手元に残しておきたいという思いも押さえられず、ノートに書きなぐった。
中々どうして大変な作業で、とても全部は写せなかったのだが、良い経験になった。やはりただ黙読や音読をするのとは違った、作者と同化するような不思議な読書体験を味わえたからだ。何故ここで読点を打ったのか、何故この漢字を使ったのか。細かなことが興味深かった。
最近動画を編集するようになって、同じ様な感覚を味わっている。ドラマのカット割り、CM前と明けに入れる映像の違い、BGMやSEの入れ方、フェードの使い方などなど。
百聞は一見に如かず 百見は一考に如かず 百考は一行に如かず。やはり経験というのは大きい。より深く知り、どういう意図だったのかを考えることができて面白い。
全てを体験するには人生は短い。だが、それでもできるだけ実際に経験をしてみたい。それが多分、自分を深くしてくれることにも繋がると思うから。
そうしたフットワークは軽い人間でいたいものだ。
いつかの海
ブログを更新しました。
一目惚れって信じる?
一目惚れというものをしたことがない。相手の内面を知らない内から好きだと思うのは怖いと考えてしまう。
第一印象は六秒ほどで決まるとも言われている。第一印象が悪いと、どれだけ話して距離を縮めてみてもやっぱり仲良しにはなれないという経験はあるし、良さそうな人だなと思うこともある。が、一目で惚れるという経験がない。
ただし、これは人に対してで、犬猫に対しては一目惚れをしたことが何度かある。一目惚れしたのに迎えることができなかった犬猫のことは、未だに時々思い出してしまうほど未練たらたらだ。
初めて一目惚れをしたのは、実家で飼っていた犬だった。幼少時に親に連れられて買い物へ行き、ついでに寄ったペットショップでである。ケージに近づいたら彼の方でも近寄ってきてくれた。その反応自体は仔犬としてそこまで珍しい反応ではないだろうとは思うが、こちらはもう兎に角一目惚れであった。その場では言い出せず、ずっとひとり悶々と考え続け、
「どうしてもあの子がいいから、今すぐ戻って欲しい」
自宅に着いたばかりで、そう両親に頼みこみ、再び車に乗ってペットショップへ引き返してもらった。
次の一目惚れは、ショッピングセンターへ買い物へ行き、そのつもりもなくペットショップの前を通ったときだった。この時も、目が合った瞬間ケージの中でたたっとこちらに走り寄ってくれた。
実家で飼っていた犬を亡くして七ヶ月。次の犬を迎えるのはまだ早いのではと思い悩んで、このときも一度帰宅した。この頃には動物愛護問題を知っており、ペットショップで購入するという行為にネガティブだったこともあって数日悩んだが、どうしてもあの子だと思って店へ向かった。
最初に居たケージにはおらず、誰かに買われてしまったのかと一瞬思ったが、別のケージに場所移動しているのを見つけた。店員さんにも念の為確認したが、当たっていた。顔で見分けられたのも、一目惚れしているが故だっただろう。
店員さんが、実は今朝、この子を買おうとした人がいたけどクレジットカードが通らなくて諦めて帰ったのだと聞かされ、尚の事運命だと思い、胸をなでおろした。
実家で弟として飼っていた時と違い、この子は息子という感覚で長年一緒に暮らした。
そんな彼が亡くなってもう四年以上経つ。
そろそろ犬のいる生活に戻りたいと思うものの、保護犬などを含めて選択肢を広げ出会いを待っているが、今の所運命の出会いが降ってこない。
だから、もう犬飼わないの? と周りから言われると、困ってしまう。飼いたいけれど出会いがないのである。自分にとっては、「結婚しないの?」という質問と同義なのだ。
猫も好きだし飼っていたこともあるのだが、猫は個体差が激しくて、可愛くない猫は存在すると思う。しかし犬は種族全体が優しくて、可愛くない犬は存在しないというのが私の持論だ。
つまり、別に運命の出会いでなくともどの子を迎えても好きになれるし、仲良くやっていける自信はあることはあるのだ。
だがそれでも。運命の出会いを待っている。
掌編『たびとつき』(読切)公開しました。
『好き』の数
STAY HOMEの生活の中、移動が無い分時間に余裕ができ、以前より凝った料理を丁寧に作る機会が増えた。パンを焼いたり、アイスやクッキーを作ったりしている。
料理が得意かどうかはわからないが、好きではある。何故かと記憶を辿っていくと、恐らく幼少期の経験なのではないかと思うのだ。
小さい頃、台所にいる母の近くにいることが多かったし、一緒に簡単なお菓子を作ることもあった。ゼリーやプリン、シャーベットやクッキー。パンを作ってみたこともあった。誕生日やクリスマスには母がケーキを焼いてくれた。料理することはとても身近にあったのだ。一番大事なのは、それらの体験が楽しかった記憶として残っていることだと思う。
得意までいかないけれど、好き。できはしなくても抵抗感は無い。これは実は大事なことだ。抵抗感が無ければトライはできる。トライすればすんなりできることもあるし、やっている内に好きになる。得意と言えるまでに極められることもあるかもしれない。
嫌いよりは好きがひとつでも多いほうが、多分人生は楽しい。
今日は何を作ろうか。考えている時間もまた、楽しい。