百考は一行に如かず

 本を筆写したことがある。と言うと、大体「いつの時代の人?」というリアクションをもらう。まぁ確かにそのとおりだとは思うのだが、子供の頃で小遣いも足りず、さりとて手元に残しておきたいという思いも押さえられず、ノートに書きなぐった。

 中々どうして大変な作業で、とても全部は写せなかったのだが、良い経験になった。やはりただ黙読や音読をするのとは違った、作者と同化するような不思議な読書体験を味わえたからだ。何故ここで読点を打ったのか、何故この漢字を使ったのか。細かなことが興味深かった。

 最近動画を編集するようになって、同じ様な感覚を味わっている。ドラマのカット割り、CM前と明けに入れる映像の違い、BGMやSEの入れ方、フェードの使い方などなど。

 百聞は一見に如かず 百見は一考に如かず 百考は一行に如かず。やはり経験というのは大きい。より深く知り、どういう意図だったのかを考えることができて面白い。

 全てを体験するには人生は短い。だが、それでもできるだけ実際に経験をしてみたい。それが多分、自分を深くしてくれることにも繋がると思うから。

 そうしたフットワークは軽い人間でいたいものだ。

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