小さな禊

 外食をすると当たり前のように出てくるお絞り。元は日本独特の文化だったと言われている。

 歴史を遡ると、平安時代にまで遡るようだ。昔は道も舗装されていないし、靴のように甲まで覆わない履物が主だったこともあり、道を歩けば手足が汚れるのが当たり前だった。そこで、宿屋や誰かの家では客人を迎えるに辺り、手ぬぐいと水を入れた桶を用意していた。桶の水に手ぬぐいを入れて絞るから、お絞りという呼び方になっていったという。

 最近では残念ながらコスト削減でお絞りが出てこないお店もあるし、大抵は使い捨ての紙や不織布製の手拭きが多い。紙製の場合はアルコールが含まれていたり、嵩張らないので駅やケータリングの弁当に添えやすいといった機能性が高いのも面白い。使い捨ての方が衛生面では良いが、コストと環境面では微妙なところだ。面白いのが、東側では紙製が好まれ、西側では布製が好まれるというエピソード。新幹線でも以前は西側では布製のお絞りが配られていたが、衛生面から山陽新幹線も紙お絞りに変えられたそうだ。ただ西側発のお店や高級感を大事にしているお店、ホテルなどでは今でも布製で出てくるところが多い。

 個人的には、布製でしかも温かいお絞りの方が嬉しい気持ちがする。紙製でも分厚いものなら良いのだが、そうでないと使い心地が悪いからだ。ぺらぺらなのできちんと拭えた感じがあまりしないのと、すぐに乾いてぱさぱさになってしまうのが気になるのである。お店によってはテーブルに予備を設置しておいてくれたり、良いタイミングでもう一枚持ってきてくれたりすることもある。

 特に外食するとき、帰宅したわけではないものの一応室内で着席して、何か食べようというときにはやはり本当は手を洗いたい。洗えなくても手を拭いたい。

 起源が家に上がる前に拭うためというだけあって、元々日本人は上下(かみしも)の区別があり、家に上がる時には履物を脱ぐし、何かする前には体を清めるのが習慣になっているのだろう。きちんとした禊でなくても、手を拭うだけでも気持ちがすっとするものだ。

 日本のお絞りは飛行機の国際線で提供したことがきっかけで海外でも好評となり、普及しているそうだ。清めるという概念でなくとも、やはりお絞りで手を拭くとすっきりするのは人類共通なのだろう。

 ウェットティッシュで手を拭いたり、顔を水で洗うだけでも気持ちが切り替わる。大きな意味で、水垢離のようなものなのかもしれない。

クレジットの意味。

クレジットという言葉。クレジットカードや、クレジットタイトルの略として使われることが多い言葉だと思う。

 元はラテン語の貸付という意味からきていて、信用や信頼、そこから生じる名声や評判のことを指す。

 ある作品のクレジットに、自分の名前を入れるか入れないか

 という話をしていたとき、ある人から「クレジットの直訳は信用だ」

 と言われてなるほどと思った。

 基本的には、自分がした仕事なのだからクレジットを入れるべき。

 それがどんなに不本意な物に仕上がったとしても。自分が作った責任というものがある。

 クレジットとして名前を出すというのは、自分が作ったという顕示の意味もあるが、品質保証の意味合いもあると思う。

 ある作家先生が映画の脚本に携わったのに

「小説家仲間にこれが自分の脚本だとは思われたくない」

 とクレジット表記を辞退したことという話を聞いたことがある。

 自分の作品であると記すこと。

 それは、「あなたの作品だから手に取る」というファンの方に対して恥じない自分の全身全霊、魂を注ぎ込んだ作品であるべきだ。

 自分の実力が及ばずまたは価値観なが合わずに「つまらない」と言われるのは残念だが仕方ない。

 自分が作ったものを他人に不本意に壊されて自分のものだと到底言えないものを他人の目に触れさせるのは、矜持に関わることだしやはり信用問題にも関わる。

 気持良く名前を出せる作品ばかりが作れるかと言ったら、やむを得ない事情でそうならないこともあるし、それでも名前を出さなくてはならないこともあるだろう。

 そんな中でも、誇りを捨てずにできる限り真摯に向き合っていきたい。

百考は一行に如かず

 本を筆写したことがある。と言うと、大体「いつの時代の人?」というリアクションをもらう。まぁ確かにそのとおりだとは思うのだが、子供の頃で小遣いも足りず、さりとて手元に残しておきたいという思いも押さえられず、ノートに書きなぐった。

 中々どうして大変な作業で、とても全部は写せなかったのだが、良い経験になった。やはりただ黙読や音読をするのとは違った、作者と同化するような不思議な読書体験を味わえたからだ。何故ここで読点を打ったのか、何故この漢字を使ったのか。細かなことが興味深かった。

 最近動画を編集するようになって、同じ様な感覚を味わっている。ドラマのカット割り、CM前と明けに入れる映像の違い、BGMやSEの入れ方、フェードの使い方などなど。

 百聞は一見に如かず 百見は一考に如かず 百考は一行に如かず。やはり経験というのは大きい。より深く知り、どういう意図だったのかを考えることができて面白い。

 全てを体験するには人生は短い。だが、それでもできるだけ実際に経験をしてみたい。それが多分、自分を深くしてくれることにも繋がると思うから。

 そうしたフットワークは軽い人間でいたいものだ。

一目惚れって信じる?

 一目惚れというものをしたことがない。相手の内面を知らない内から好きだと思うのは怖いと考えてしまう。

 第一印象は六秒ほどで決まるとも言われている。第一印象が悪いと、どれだけ話して距離を縮めてみてもやっぱり仲良しにはなれないという経験はあるし、良さそうな人だなと思うこともある。が、一目で惚れるという経験がない。

 ただし、これは人に対してで、犬猫に対しては一目惚れをしたことが何度かある。一目惚れしたのに迎えることができなかった犬猫のことは、未だに時々思い出してしまうほど未練たらたらだ。

 初めて一目惚れをしたのは、実家で飼っていた犬だった。幼少時に親に連れられて買い物へ行き、ついでに寄ったペットショップでである。ケージに近づいたら彼の方でも近寄ってきてくれた。その反応自体は仔犬としてそこまで珍しい反応ではないだろうとは思うが、こちらはもう兎に角一目惚れであった。その場では言い出せず、ずっとひとり悶々と考え続け、

「どうしてもあの子がいいから、今すぐ戻って欲しい」

 自宅に着いたばかりで、そう両親に頼みこみ、再び車に乗ってペットショップへ引き返してもらった。

 

 次の一目惚れは、ショッピングセンターへ買い物へ行き、そのつもりもなくペットショップの前を通ったときだった。この時も、目が合った瞬間ケージの中でたたっとこちらに走り寄ってくれた。

 実家で飼っていた犬を亡くして七ヶ月。次の犬を迎えるのはまだ早いのではと思い悩んで、このときも一度帰宅した。この頃には動物愛護問題を知っており、ペットショップで購入するという行為にネガティブだったこともあって数日悩んだが、どうしてもあの子だと思って店へ向かった。

 最初に居たケージにはおらず、誰かに買われてしまったのかと一瞬思ったが、別のケージに場所移動しているのを見つけた。店員さんにも念の為確認したが、当たっていた。顔で見分けられたのも、一目惚れしているが故だっただろう。

 店員さんが、実は今朝、この子を買おうとした人がいたけどクレジットカードが通らなくて諦めて帰ったのだと聞かされ、尚の事運命だと思い、胸をなでおろした。 

 実家で弟として飼っていた時と違い、この子は息子という感覚で長年一緒に暮らした。

 そんな彼が亡くなってもう四年以上経つ。

 そろそろ犬のいる生活に戻りたいと思うものの、保護犬などを含めて選択肢を広げ出会いを待っているが、今の所運命の出会いが降ってこない。

 だから、もう犬飼わないの? と周りから言われると、困ってしまう。飼いたいけれど出会いがないのである。自分にとっては、「結婚しないの?」という質問と同義なのだ。

 猫も好きだし飼っていたこともあるのだが、猫は個体差が激しくて、可愛くない猫は存在すると思う。しかし犬は種族全体が優しくて、可愛くない犬は存在しないというのが私の持論だ。

 つまり、別に運命の出会いでなくともどの子を迎えても好きになれるし、仲良くやっていける自信はあることはあるのだ。

 だがそれでも。運命の出会いを待っている。

『好き』の数

 STAY HOMEの生活の中、移動が無い分時間に余裕ができ、以前より凝った料理を丁寧に作る機会が増えた。パンを焼いたり、アイスやクッキーを作ったりしている。

 料理が得意かどうかはわからないが、好きではある。何故かと記憶を辿っていくと、恐らく幼少期の経験なのではないかと思うのだ。

 小さい頃、台所にいる母の近くにいることが多かったし、一緒に簡単なお菓子を作ることもあった。ゼリーやプリン、シャーベットやクッキー。パンを作ってみたこともあった。誕生日やクリスマスには母がケーキを焼いてくれた。料理することはとても身近にあったのだ。一番大事なのは、それらの体験が楽しかった記憶として残っていることだと思う。

 得意までいかないけれど、好き。できはしなくても抵抗感は無い。これは実は大事なことだ。抵抗感が無ければトライはできる。トライすればすんなりできることもあるし、やっている内に好きになる。得意と言えるまでに極められることもあるかもしれない。

 嫌いよりは好きがひとつでも多いほうが、多分人生は楽しい。

 今日は何を作ろうか。考えている時間もまた、楽しい。

旅先で、違うこと。

 旅が好きだ。

 多分、自分にとってはリセットなのだと思う。非日常。行ったことのない場所で、見たことのないものを見て、美味しいものを食べて知らない場所で眠るのが楽しい。

 大体は寺社仏閣などその土地の歴史が深い場所を巡り、そこでしか展示されていないものがある美術館や博物館を見て、その場所ならではの物を食べるようにしている。色々なことに気づき、学びになる。 カメラも持ち歩いて写真もよく撮る。

 ただそれとは別に、旅先っぽくないことをするのも好きだ。

 寺社や博物館などは大抵夕方で終わってしまうので、それ以降の時間をどう過ごすか。荷物は全て宿やロッカーに預け、まるで地元の人のような身軽な恰好で町を歩いてみる。本屋に立ち寄って前から欲しかった本を買ったり、予約なしで受けてくれる美容院に飛び込みで入って髪を切ったり。映画館で映画を見て、地元の人しか行かないような路地裏のバーで、映画の内容を反芻しながら一杯飲む。そしてコンビニでアイスでも買って宿に帰り、買ってきた本を読むのだ。

 これは、一人旅のときの楽しみだ。家にいないから、家事や仕事などのルーチンから解放され、暇ではないけれど暇に近い状態になる。だからこそできる、行きあたりばったりの時間の使い方。

 もしこの町に住んだらどんな感じだろうかと、想像してみる。きっとこのカフェは行きつけになるだろう。ここに図書館があるのは便利そう。ふらふらと歩いていると、旅行者に道を訊かれることも多い。地元の人に見えたのだろうかとちょっと楽しい気分にもなるのだ。

 今の自分とは違う自分に、ちょっとだけ出会える。それは、可能性でもある。いつか本当に、この町に越してくることもあるかもしれないのだし。

 たくさんある未来の可能性を、常にあるはずの自由への気付きを手に入れて、家へ戻る。

 それからまた、現実と向き合う。

 自分が何を現実として選ぶべきなのか。どれを選び取るかは、本当は多分自分で思っているよりもずっと、自由なのだ。

新聞紙の洋服の話

 通っていた幼稚園で、年少の頃には特にちょくちょく母親参加型のイベントが催されていた記憶がある。

 今思えば、ママ友問題や自分の予定の都合など含めて母が実際どう思っていたのだろうとも思うのだが、子供としてはそれなりに良い思い出として残っている。

 その中のひとつが、新聞紙で洋服を作るというもの。

 子供に遊ばせるのではなくて、ステージに数名の園児を並べ、その子の服を母親が新聞紙で即席で作るというものだった。

 時間と出来栄えの多数決で勝利者を決める、というようなものだったと思う。

 子供は手伝ってはいけないマネキン状態であった。

 

 母は手先の器用な人で、小さい頃は母手作りの洋服を着ていた。

 髪留めからポーチまで全身トータルコーディネートである。

 母の作ってくれる服を、私はとても気に入っていた。

 だから、デザインセンスや娘のサイズ感がしっかり頭に入っていたのかもしれない。

 周りのお母さん方が取り敢えず新聞を広げて子供に巻きつける中、母は細く新聞を切り取って肩ベルトを作り、

蛇腹折りにしてプリーツを表現。

 ロングのジャンパースカートを作り上げた。

 余った新聞紙をこれまた細く切って蛇腹に折り上げ、リボンまで作ってつけてくれた。

 とても可愛くて、セロテープを外して脱ぐのが残念だったほどだ。

 確か、勝負結果もダントツで母が1位に評価されたと思う。

 未だに時々、あのデザインのスカートが欲しくなる。

伝えるということ

 あるお寺へ行った人が感想で、「宗教色を感じるのが残念」とい言っているのを見かけた。宗教施設へ行っておいて宗教っぽいから嫌というのはどういうことなのだろうか。

 という話をしたら、「自分はお寺が宗教だと知らなかった」と言ってきた人があった。

 宗教というと新興宗教のイメージなのだそうだ。金儲けのための胡散臭い施設=宗教で、そういう雰囲気が無いお寺は宗教ではなく、寺は寺だと思っていたそうだ。

 神社と寺は似たようなもので、どちらも神様がいる神聖な場所という認識はあるのだとか。

 寺社仏閣は好きだそうだが、そういう認識なのである。

 自分もそこまで詳しい訳ではないものの、正直驚いた。驚いたが、若い世代でそこまで興味がない場合の認識というのはそういうケースも多いのかもしれない。

 何故知らないのか、というより、何故自分は知っているのだろうと考えた。

 多分、一番には親である。

 家は無宗教ではあるが、季節の室礼はきちんと整える家であった。

 注連飾りや門松、鏡餅。七草粥を食べて鏡開きをし、節分には豆をまく。お雛様を飾り、お花見に出かけ、鯉のぼりを出し笹の葉を飾って浴衣で歩いた。すすきを飾り月見酒をし、紅葉狩りに出かけて柚子湯につかる。

 節句ごととまではいかないが、それなりにしている方ではなかったろうか。

 現代においては整えるのも大変だ。やらない人も多かろう。そうして親がやらなければ、子供もやらないのが当たり前になっていくだろう。

 文化や常識というものは、簡単になくなり変わっていってしまう。

 大晦日は、子供の自分が唯一夜更しが許されている日だった。だから、眠るのが勿体ない気がして眠い目を擦って起きていた。住んでいたのは港町だったから、0時を過ぎると汽笛が鳴り、教会の鐘が除夜の鐘と一緒に鳴り響いており、それを聞くのが楽しみだった。

 明けて元日は、着物に着替えて過ごす。羽織を着て初詣に出かけ、破魔矢を頂いてくる。

 参拝の仕方を教えてくれたのは父だったと記憶している。特に書いていなければ二礼二拍手一礼が無難。寺は拍手をしない。

 親から教わった知識を補強してくれたのは、本や友人から聞いて得たことである。二礼二拍手一礼が決まったのはいつ何故だったか。この寺の宗派は何で、どうして分派することになったのか、などなど。

 得てきたもの全てを照らし合わせて、自分の持つ『常識』になっている。

 自分が当たり前だと思っていることが必ずしも当たり前ではない。それは当然なのだが、当たり前だと思って説明をする必要性を感じなかったことも、実は他の人にとっては目新しい有意義な知識であることもあるようで。

 インプットするばかりでなく、アウトプットすることも大事だと気付かされるのはこういうときだ。

 与えられるばかりではなく、返すこと、伝えることも大切にしなければならないと思う。

おかしらつき

 小さい頃からいろんな本を読んでいた。もう今ではなんという本だったかも思い出せないが、晩ご飯の食卓についた主人公の少年が 「わーい、おかしらつきだ!」 と叫ぶシーンがあった。

 おかしらとは頭だとは思ったが、なぜそれがそんなに飛上がるほど嬉しいのか、当時の私にはわからなかった。母に聞いて、頭と尻尾がついたまるまる一匹の魚のことだと教えてもらったが、それがどうして特別なのか理解できなかったのだ。晩ごはんに秋刀魚や鮎なんかが、まるごと一匹出てくるのはよくあるのに、そんなに特別なことなのだろうか、と。

 言葉の意味というのは、上っ面の意味だけで理解できるものではなく。尾頭付きの特別感が理解できるようになったのはだいぶ後だった。

 昔は冷蔵技術が今とは異なっていたこともあり、まるまる一匹の魚を一般家庭で用意するというのは大変だったのだ。

 大変貴重でもあり、切り分けられていないこと、「一つの事を初めから終わりまでまっとうする」ということから縁起も良いとされていた。

 だから、結婚式やお食い初めなどハレの日には尾頭付きが使われる。

 頭が左側なのも、左の方が上位だから。

 そう言えば、家の雛飾りはお内裏様が左側だった。向かって左にいるのがお雛様。地元の友人たちには「逆だ」「おかしい」とよく言われた。

 日常の何気ないところにも、長い歴史の中で培われたことが根付いている。

 それは、とても美しいことだと思うのだ。

旅の色

 旅が好きだ。

 誰かと旅するのも、ひとりで旅をするのも好きだ。

 旅の何が好きかと言えば、自分の知らない町を知ることができることだ。

 知らない町に知らない人がこんなにたくさん居て、生きている。

 そう思えること自体が興味深い。

 電車や飛行機で移動するだけでも、夜間に星のように散らばる家々の明かりを見るだけでもそう思う。

 誰かの為につけられた軒先の明かりや、ベランダに置きっぱなしになった三輪車を見ると胸がきゅっとなるのだ。

 旅で訪れる町は、どこか色が薄く見える。

 それもまた、旅の醍醐味だと思っている。

 薄くて目新しい。

 そしてその場所に滞在する時間が伸びれば伸びるほど、色は濃くなっていく。

 これは引っ越したばかりのときも同じだ。

 住み始めた時と、住み慣れた時では見える景色が違う。

 色濃くなり、自分の世界と同化していく。

 特定の場所に住まずに旅しながら暮らしている人は、世界中が色濃く見えているのだろうか。

 それとも、全てが目新しく見えるのだろうか。