時々、『ファッションはその人のピーク時で止まる』という話を聞くことがある。ピーク時はお洒落にも気を配っていて、その時の流行りのアイテムをワードローブに詰めていたけれど、ピークを過ぎてお洒落にも気を配らなくなって、最新のアイテムを取り入れることがなくなっていく。その状態で「今日はお洒落をしよう」と思い立っても、そのワードローブで出来る、自分の当時の知識できるお洒落だから”古い”ファッションになってしまう、というのだ。
ファッションは周期があって、ちょっと変わりつつも流行は繰り返すものなので、うまく一周していれば寧ろ最先端になり得るとは思うし厳しい話だが、まぁ確かにそういう面というのはあるのだろう。
最近読んでいる槇村 さとる先生の『Real Clothes』 にもそんな場面が出てきた。そしてこの漫画の感想でも、「この髪型ダサい」という最近の若い人の感想があり、「当時は流行っていたんだよ、私もしてたよ」という今三十代、四十代かと思われる人の返信があって、流行の移り変わりというものを感じた。
お洒落に興味がある人は、いくつになっても最新の流行に気を配り、その中で自分のスタイルに合うものをうまく取り入れてワードローブがアップデートできるのだと思う。
これはファッションだけに限らず、どんな分野でも言えることではないだろうか。
先日映画館に映画を見に行ったとき、近く老夫婦が座っていた。仲睦まじく微笑ましい、と最初は思っていたのだが、禁止事項である飲食物の持ち込み、上映中のお喋りが激しく、しかも持ち込みの食べ物が買ってきたのか自宅で揚げてきたのかパックに入れたコロッケで、臭いとパックの音が酷かった。
確かに昭和時代には持ち込みOKの映画館も多かっただろうし、映画館で買うより持ち込んだ方が安いから立派な節約のうちだったろう。
劇場にお芝居を観に行った時も似たような目にあった。多分昭和の映画館と同じ感覚なのだろう。十人ほどの団体のおばさま方が飴をシェアし、この時点っではまぁグレーかなと思っていたら、コンビニで買ってきたカップ入り飲料をずごごごごっと遠慮なくすすり、お菓子を開封して袋を回してシェアし始め。その芝居には年配の有名な役者さんが出ておられ、多分その方目当てだったのだろう。その方が出てきた途端「きゃー、◯◯さんよ」「やっぱりいい男よねぇ」とお喋りが始まった。
歌舞伎の大向こうでもあるまいに、勘弁していただきたいと思ったが、映画館にしろ劇場にしろ始まってしまっていると、注意してやめてもらいたくても立っていって声をかけて止めてもらうというのはかなりハードルが高い。下手をすると自分のその行為がまた他の方々の迷惑になりかねないので、ひたすら耐えるしかなかった。
映画でも芝居でも、見に行こうと思った時にふと思い立って会場のサイトの注意事項を確認してみるとか、チケットの裏面にある注意事項をよく読むとかいったことをすれば書いてあるような、基本的な禁止事項のはずだ。
だが、アップデート出来ていない人というのはアップデートをしない人な訳で、そうした行為はしない。そうすると、自分の中の間違った知識、または古い知識のまま進んでしまう。
これはなかなか怖いことだ。
自分の専門分野なら兎も角、どんなジャンルでもアンテナを張っておくことというのは難しい。思い込んでしまっていることを改めて確認しようと思いたつことも難しいだろう。
それでも多分、注意深く周りを観察する、話を聞くということをすれば、多少なりともアップデートする機会は得られるのではないだろうか。
アップデートできないままではいたくないし、アップデートできないだけならまだしも、自分が古いだけなのに「最近の若い者は」「流行りに飛びつくなんてミーハーなことはしたくない」なんて正当化するようなことはしたくない。
悪気はなくても周りに迷惑をかけることになりかねない行為なので、いただけない。
ときにはワードローブも脳内も、断捨離して空気を入れ替えることが必要だなと自戒をこめて思う。