小瀬川の船渡し

 周防国と安芸国の国境を流れる小瀬川(おぜがわ)。中国山地を源流にいくつかの支流と合流しながら弥栄峡(やさかきょう)を経て広島湾に注ぐ。川幅も狭ければ総延長もさほどなく、決して大河ではない。しかし防長(ぼうちょう)以西の人間が西国街道で京師(けいし)や江戸へ向かおうとすれば、必ず越えていく。防長に生まれ育った者にしてみれば小瀬川を越えれば故郷を出ることになる。 
 小瀬川中流に、周防国岩国領小瀬村(おぜむら)と安芸国広島藩木野村(きのむら)という二村がある。船渡し場があり、まさに西国街道における防芸(ぼうげい)両国の要衝だ。

 慶応元年冬、川面の上を乾いた冷たい風が泳ぐ日だった。晴れてはいるが時折厚い雲が太陽を覆っている。
 周防側の小瀬村の二人が船渡し場の脇の小屋で番をしていた。その内の一人、忠蔵(ちゅうぞう)は張りのなくなった手を揉みながら繋ぎ止められた小舟を呆然と眺めていた。
「八郎、今日は暇じゃのう。わしらここにおる必要あるんかのう。寒うてやっとれんで」 
 忠蔵の横で読み物をしていた八郎は忠蔵のしわがれた声に顔を上げた。
「今日の番がわしらなんじゃけ逃げ出すわけにも行かんでしょう。寒いと思うけぇ寒いんじゃ、と父ちゃんによう言われました」
 忠蔵に対して八郎は若い青年で、凜とよく通る声で答えた後、火鉢の中で赤く光る木炭を確認して再び読み物に戻る。
「気持ちの問題で冬は温(ぬく)うはならんで、八郎。お前の父ちゃん、確か寒がりじゃったろう。そりゃ自分を言い聞かす言葉じゃないんか。火鉢じゃなぁて、薪(まき)で火を起こしたいくらいには冷えるのう。ちったあ動けばまだましなんじゃが」
 八郎は身を震わせながら饒舌に語る忠蔵に苦々しい顔を上げた。
「日頃は冬でも冷たい水に手を入れて紙をすいとる人が、寒い寒いと言うんは不思議な感じがします」
 一昨日降った雨の影響で水かさが少し高い上にこの寒さだ。徒渡(かちわた)りの多い武士以外の身分の者も船渡しを選ぶ割合が高いはずだが、言われてみればなぜか船渡しの自分が暇をしている時間が多いなと八郎は思った。町民の交通量が減ったと感じたのはこの秋以来だ。戦が起きると村の内外で噂になった頃のことだ。
 幕吏や諸国の大名などがこの地を通過していくことは、当然珍しいことではない。
 幕府の命を受けて書状を預かる飛脚を渡したことが八郎はある。しかし、あの秋に小瀬川を往来した幕吏、岩国領主やその家来の神妙な面持ちと物々しい雰囲気は、いつもにはない緊迫感があった。危機感と言っても良い。長州と岩国の家老が禁門の変での責任を取る形で切腹したという話はつい最近のことだ。
「この頃は長州のお侍さんらがようけ来なさったのに、今日はどうしたんじゃろうかね。本業の紙すきに戻りたいのは山々じゃ」
 忠蔵の言葉を聞いて、八郎は眉間に皺を寄せた。一抹の不安が胸の奥で色濃くなる感じを覚えたのだ。
「言われてみりゃ武士の方々の往来が増えた気がします。秋頃は戦の噂で農村民の交通量が減ったけぇお侍の行き来が増えたように感じとったけど、最近は単純に二本差しの方が多い気がする」
「長州じゃ内乱が起きるかもしれんらしいけぇのう。ご家老様が切腹したんじゃ。岩国はもとより、朝敵の汚名を一身に受けた隣藩長州の藩論が揺れるのも流れの内じゃろう」
 忠蔵は両手のひらを火鉢に掲げて鼻をすすりながら、白い毛の混じる眉を片方上げて八郎を見遣り、話を続ける。
「幕府への対応は必然防長の玄関口である岩国かこの川を越えた広島かになろうて。ほじゃけぇ難しい顔をしたお侍さんらの往来も増えとったんじゃろうのう。今日の暇は偶然じゃろう。神様仏様がわしらに下さったお暇(いとま)じゃ」
 そう言って忠蔵は目尻に皺を寄せて笑った。
 何も考えていないようで忠蔵には忠蔵の思いがあるのだなと八郎は意外に感じた。伊達に齢(よわい)だけを重ねているわけじゃないということなのだなと。
「そしたら、もし萩藩庁が強行な姿勢をとり続ければ小瀬村と木野村で長州軍と幕府軍が睨みあうような事態になるんじゃろうか」
 八郎は呟くように不安を口にした。しかし、そんな不安を笑い飛ばすように忠蔵は言い放った。
「んなわけないじゃろう。あんまり何度も口にすることじゃないが、ご家老様が腹を切られとるんじゃ。長州だけじゃない、岩国も。幕府への恭順の意に他ならん。黒船のことやら血生臭いことが立て続けにあったもんじゃけぇ、八郎は神経質になっとるんじゃろう」
 あまりにも朗らかに忠蔵が笑うので、八郎は自分の思いが杞憂なのだろうと思えた。忠蔵の言う通りだ。なんの為の切腹だ。戦国乱世から二五〇年余り続く幕府の下に築かれた天下泰平の世の中が揺らぐはずがない。
「ほうら、お客さんだぞ。いきなり増えたなぁ」
 窓越しに忠蔵が船着き場を顎で指し示しながら言う。忠蔵は寒くて出たくはないのだろう。八郎は「この怠慢オヤジめ」と内心で言い捨てから立ち上がり、屋外へ出た。船渡し場に二本差しの武士が三名ほど船頭を待っていた。小走りで八郎は向かう。
「お待たせしました。お勤めご苦労様です」
「よろしく頼む」
 自分と同い年くらいの青年たちだった。歳も近く仲が良いのだろう。笑い話をしながら船へ乗っていく。訛りから察するにこの辺りの武士だろう。
 八郎は全員が乗船したのを確認すると舫(もや)いを解いた。棹を川底へ押し当てて出航した。増水しているとは言え、川の流れは緩やかで常日頃と相違なさそうだ。
 太陽は南天を過ぎやや西へ傾いた頃だった。今日一番の暖かさを肌に感じながら八郎は船を進める。 
 ふと上流の方を見遣る。川幅二十間(けん)強とは言え山に囲まれてはいるが、河川の両岸を含め広い空間だ。雲が落とした影が川を跨いで木野村に向けられた大砲たちを越え、小瀬峠の冬の森へ過ぎ去って行く。
「小瀬の砲台は今日も今日とて威圧的じゃのう。あれじゃあ砲門を向けられた木野の村民はもちろん、小瀬の民草も気がおけんじゃろう」
 若い侍衆のひとりが八郎に声を掛ける。
「お侍さんらが険しい顔してあげな砲台を村に築きなされれば、一体何事かと村民や人らは思うておるでしょうなぁ。防長は戦になりましょうか」
 八郎は戦の噂以来、自分が感じてきたことを言葉にして告げた。上級武士でも諸隊の幹部でもないであろう若い侍らに萩藩庁の意思や藩政の行方を知る由もないであろうが、尋ねずにはいられない。
「我が殿はもとより、吉川監物(きっかわけんもつ)殿も自ら事に当たられとると聞く。万事ぬかりなく事は進められるであろう。士農工商問わず防長二州に住まう我々が常日頃の勤めを全うすることが、ひいては殿らをお支えすることになる。腐敗した幕府らが例え攻めて来ようと……」
 問いに答える最前に座る武士の肩に手を乗せて、その後ろに座る色黒の侍が話を遮った。
「話し過ぎじゃ。先の事は神や仏でもわからんものじゃ」
 日の暖かさも忘れる川面の冷気も手伝ってか、平和とはほど遠い大砲の姿と彼らの言葉にはやはり胸騒ぎを覚えずにはいられない。
 川の中間地点で対岸からの渡し船とすれ違う。顔見知りの船頭に会釈をした。あちらの乗客は二名。笠を深く被っているので顔は見えない。腰に刀が見えたので武士身分なのだろうが、身なりが随分とくたびれているように見える。最近多いと聞く脱藩浪士であろうか。しかしその背中はやけに大きく感じられ、懐の広さ、器の大きさすら感じられる気がするようだ。
 すれ違う乗客の二人の内一人が少し顔を上げた。切れ長の目に通った鼻筋が特徴的で、眉目秀麗という言葉が相応しい顔がちらりと見て取れたが、その表情は固く、対岸の小瀬村を瞬きせず見つめていた。 
 八郎はすれ違う船を背後へ見送って自分の船を更に進めた。
 移ろいで行く世の中は、川の流れの如く過ぎて行けども戻りはしない。黒船、開国、尊皇、攘夷。そんな言葉を巷で耳にしなかった時代が終わり、諸藩や尊攘志士らが国を憂う時勢。交通の要衝、歴史を紡ぐ武人は行きも帰りもこうして小瀬川を渡る。

切手のない手紙 #5