彼岸と此岸を繋ぐ

週末久し振りに電車でお出かけしましたら、あちこちのお花屋さんで仏花を売っていました。

なるほど、お彼岸前の週末だから、お墓参りに行かれた方も多いのでしょうね。

彼岸とは、春のお彼岸は春分の日、秋のお彼岸は秋分の日を中日として、前後3日間、合計7日間のことを指します。

今日は彼岸の入り。最後の日は彼岸明けと呼ばれます。

彼岸というのは仏教用語で、波羅蜜(サンスクリット語でパーラミター)という悟りの境地に至るという意味の言葉の意味を「至彼岸」としたのが由来だそうで、煩悩の川を越えて彼の岸(かのきし、彼方(あちら)の岸)に至るということです。

つまり涅槃、極楽浄土、天国ということですね。

西遊記でも西を目指しますからご存知の方も多いかと思いますが、

太陽が沈む西という方角には特別な意味があります。

彼岸の期間に煩悩を払うための修行として西に祈りを捧げるのですが、

春分の日と秋分の日の中日は、太陽が真東から出て真西に沈み、

真っ直ぐに西方浄土に祈りを捧げることが出来ます。

このことから、お彼岸にお墓参りをすると彼岸に通じやすいという考えで

お彼岸に法要を行うようになったそうです。

仏教が元になっていますが、日本の仏教は日本で独自に発展したものであり

彼岸というのも日本独特の風習です。

そしてまた、仏教が伝わる前から太陽への信仰があり、それがお彼岸と結びついたとも言われているそうです。

お天道さまが見ているから、という言葉もありますし

日本人は自然と密着して生きてきているので、なるほどと思わされます。

お彼岸の期間、いつも以上にご先祖様に思いを馳せつつ丁寧に過ごせたらなとおもいます。

#article #blog

ドアの向こう

今日は久し振りに六本木へ行きました。

昔勤務していた会社が六本木にあったので懐かしい街ではあるのですが、

その時とはお店や建物も変わっていてなんだか寂しい気持ちになりました。

それでも、今日行ったビルの別のフロアに、昔よく利用していた銀行がまだ入っていて

変わっていないこともあるわけで。

時々、自分はなんでこんなところにいるのだろうと思うことがあります。

悲観的な意味でもなければ肯定的な意味でもなく。

ただ単純に、不思議だなと思うのです。

どうして、なんの因果でこの場所のこの環境にいるのだろう。

別に六本木で働きたいと思ったわけではないのに

気がついたら”ここ”にいる。

ここを目指そうと決めて、選んできたわけではない。

でも、ここに至るまでの道筋は自分で決めてきた。

小山宙哉先生の漫画『宇宙兄弟』222話に、「夢のドア」というお話があります。

宇宙飛行士が若者たちに話をするシーンで、

人の人生には

いくつもの“夢のドア”がある

引用元:『宇宙兄弟』23巻

という台詞が出てきます。

大きな夢を持った時、その夢のドアがあまりに大きく

開けられるわけがない、と諦めてしまう。

でも、大きなドアがあるのではなくて、小さなドアがいっぱいあるだけだ、と。

そしてその小さなドアを開けるたび

君らの夢がひとつずつ叶っていくのがわかるはずだ

君らには

そのためにやるべきことがある

手探りでも何でもいい

意地でも次のドアに手をのばし続けることだ

そんなことしてる間に――――

気付いたら

宇宙遊泳とかしてるかもよ?

引用元:『宇宙兄弟』23巻

一言で言うなら夢を諦めないということなのですが

このドアのたとえと「気付いたら」というのが非常にしっくりきたので

とても印象に残っています。

目の前にたちはだかる壁を越えたりドアを探して開けたりして

それをずっと続けていると気がついたら思ってもみなかったところに出ている。

それが抱いていた夢の先かもしれないし、全く違うところかもしれない。

いつかは目指すところに辿り着くかもしれない。

大事なのは、進むこと。

目標達成のコツとしても、大きなゴールを決めて、そこまでの間に

小さなゴールを決めるというのがよく言われます。

きっちり計画的に開けると決めていた小さいドアでも、

手探りしていたら手がドアノブにぶつかっただけでも、

取り敢えずは開けないより開けた方が良いはず。

私が今いるここは、大きなドアの先にあると思っていた世界ではないけれど

都度小さなドアを開け続けて辿り着いた場所で、

振り返ってみれば叶わなかったことばかりではない。

一気に大きなドアを引き開ける力は持っていないし

目的地に直結できるどこでもドアも無いけれど、

だからこそこの先も、小さいドアを開け続けていくしかないのだろうと思います。

それがいつか、気がついたら目指していた場所に立っていた、ということになるように祈りつつ。

#blog

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%87%E5%AE%99%E5%85%84%E5%BC%9F-23-%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0-KC-%E5%B0%8F%E5%B1%B1/dp/4063872947/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&linkCode=li2&tag=asairtheusumu-22&linkId=9db332b0226ccbe0df6fb2bce922dd11&language=ja_JP

かわいいおばあちゃん

知らない人に話しかけるということ

道を訊かれやすいということは、多分よく言えば良い人そうに見えていて、

悪く言うなら押しが弱そうに見えているのかなと自分では思っている。

話しかけやすい、きっと答えてくれるだろう、という印象。

自分は人に道を尋ねた経験が無いのでよくわからないのだが、

自分に道を訊いてくる人の中で良い人は良い人だけれど、

嫌な人は訊くだけ訊いてお礼も言わず不満げに去っていくので、

単に舐められているんだろうなと感じることもある。

道を訊かれやすい人は痴漢にも遭いやすく、

一昔前なら写真を撮ってくれと頼まれる人なのではないだろうか。飽く迄も自分の経験則であるが。

そう言えば、遊園地などに行くと必ず一日三回は写真を撮ってくれと頼まれると言っていた人が、

眼鏡をかけ始めたらめっきり言われなくなった話を聞いたことがある。

良い人そうなオーラが、眼鏡でちょっと固くなったからだと思われるのだ。

それはさておき。

道を訊かれたら知らない場所でも自分のスマホを駆使したり交番へ訊いたりして

時間の許す限り調べて案内し、答えるようにしている。

それで「あっそう」とか「本当に?」と何故か疑われて不愉快な思いをすることも

わりかしあるが、そのせいで自分のスタンスを変えるということはない。

中には丁寧に礼を言ってくださる方もいらっしゃるし。

何故だか旅先で道を訊かれることも多く、自分も観光客なので全くわからないよ

と思いつつも答えられる範囲で答えている。

道を尋ねられるのではなく、世間話や質問を受けることもある。その中でも、嫌な思いをしたこともあれば、楽しくお話を終えられたこともある。

中でも、可愛かったなと思ってちょっと印象に残っている話がふたつある。

ひとつは、新幹線の中だった。一人旅でそこそこ混んでいる東北新幹線の中

携帯電話で文字を打っていたら隣のおばあちゃんに話しかけられた。

「本当に打つのが早いのね。どうしたらそんなに早く打てるの?」

一瞬いろんな回答が頭の中を過ぎったが、やはり回答を求めての質問ではなかったようで

おばあちゃんの方から事情を話し始めた。

携帯を持っていて使いこなしているなんて十分恰好良いおばあちゃんだと思うのだけれど、

ご自身では入力に時間がかかるのが悩みだそうで、

そんなものは慣れだと思うのだが、お孫さんが「返信が遅い」とご立腹なのだそうだ。

自分もパソコンを始めたときはタッチタイピングが出来なくて悩んでいたけれど

いつの間にかできるようになっていたので

やっぱり慣れだと思うので、やんわりとそんなことを織り交ぜつつ相槌を打っていた。

しばらくお話して、共感を得られて満足されたのか話は終わったのだが

あのおばあちゃんはお元気だろうか。

あれからもずっと使っていたとしたら、スマホもタブレットも使いこなす

おしゃれなおばあちゃんになっていると思う。

もう一人もやはりおばあちゃんで、旅先でATMによりお金をおろして

横断歩道で信号が変わるのを待っていたところに話しかけられたのでちょっと警戒した。

が、私がそのお財布を入れて持っていたフェイクファーのバッグが気になったのだそうだ。

「とても素敵なバッグだけれどどちらでお買いになったの?」と。

生憎地元で買った安物なもので、ブランドやサイトやショップをお伝えできるものではなかったのだけれど

お孫さんへのプレゼントにこんな可愛らしいバッグが良いかも、と思ったのだそうだ。

信号が変わるまでのほんの少ししかお話しなかったけれど、

その後良い贈り物が見つかっていたのなら良いのだが。

町中で素敵なバッグだなとか、この人すごいなと思っても、

実際にそれを声に出して話しかけることは

恥ずかしいとか、あとは今の時代声掛け事案にもなりかねず、変な目で見られる可能性も高いし。

でも、ちょっとした世間話は、できることならこの先の世も、あってもいいのではないかと思う。

今はまだ邪念が先に立って知らない人に話しかけられないけれど、おばあちゃんになる頃には

旅の恥はかき捨て的に勢いで若い人に話しかけることができるようになっているものだろうか。

もしそうなれたら、かわいいおばあちゃんだったな、と相手が後々までふと思い出すような

かわいい質問をする良きおばあちゃんであれたらなと思う。

#blog

保育園の朝

通勤路に保育園がある。通勤するタイミングによってはちょうど通園時間と被るようで、お母さんに連れられてちびっこたちが登園してくる。

その保育園の前には警備のおじさんが立っている。警備会社の方なのか園児の父兄なのかシルバー人材センターの方なのはよくわからないが、蛍光テープの貼られたベストを着て帽子を被り、誘導ライトを持っている。

その方が、いつもちびっこの姿が見えると遠くから「おはようございます」と声をかけ、そして彼らが保育園の近くまで歩いてくるとわざわざ屈んで子供と目線を合わせて「おはよう」と声をかけ直すのを見るのが、なんとなく好きだ。

ラッシュ時はもはや屈伸運動のように結構なペースで立ってはしゃがみを繰り返すことになるのだが、労力を厭わずそうしていらっしゃる。

子供の中にはわーっとかけよってそのまま抱きついている子もいて微笑ましいのだ。

挨拶をしただけで声掛け事案になるような世の中だし、それも致し方ないご時世だけれど、やっぱり人は人と関わることで笑顔になるのだと思う。

#blog

#blog

かみしもの区別

小さい頃、母親に口を酸っぱくして言われていたことのひとつ、

「かみしもの区別をつけなさい」 という台詞。

母から見て私はきちんとできていない方だったと思われるが

そんな自分から見て現代の日本はかみしもの区別がついていなさすぎである。

外でところかまわず地べたや階段に座り込み、

立った時に払うでもなく、そのまま帰宅して家の中でも座ってしまう。

鞄を地面に置いてしまう上、その鞄をテーブルにも平気で置く。

公園のベンチの上に靴を履いたまま立つ、散歩させていた犬を載せる。

汚いという感覚がないし、上下の区別がついていないのだ。

以前大河ドラマを見ていたら、藩主からもらった物を頭上に掲げて持ち帰り

ふらふらになって倒れそうになっても上に掲げようとし続け

事情を聞いて慌てて他の者が受け取り頭上に掲げるというようなシーンがあったが

この感覚がもはや無いのではないだろうか。

家では高いところにあるものを取るのにも、テーブルの上に載るのは許されなかった。

食事を載せるところであり足蹴にして良いところではないから

椅子や脚立などを持ってくる。

寝ている人をまたぐのもNGだし、枕をまたぐのも駄目だった。

理由は、頭を載せるものだから、である。

そう言えば、剣術道場でも、真剣だろうが居合刀だろうが木刀だろうが

他人のものはもちろん自分のものも跨いではいけないと

師範がやはり厳しく仰っていた。

これも同じであろう。

テーマパークへ行った時、周り中が土足で縁石やフェンスの上に乗って

パレードを見ようとしている中で、ある家族だけが石造りのベンチの上に

靴を脱いであがっていたのを見たことがある。

寧ろこの家族の方が特殊に映ってしまうほど、今の日本はかみしもの感覚に疎い。

人が食事をしているテーブルの横に鞄を置き、

注意しようものならこちらがうるさい、潔癖症と馬鹿にされる始末だ。

勿論衛生問題もあるが、やはり観念の問題である。

礼儀の問題なのだ。

こればかりは感性の問題であり、ならぬものはならぬの世界なので

そうした感覚がないまま育ってしまうといくら言われてもぴんとこないのではないだろうか。

電車で子供が窓の方を向いて座席に膝立ちになりたがるとき

靴を脱がせる親も見なくなってきたし、

人混みで子供を抱きかかえる際、靴を脱がせる光景も見なくなった。

時々傘を真横に持ったり腕にかけて斜めになって人を刺しそうになったり

電車内で高い位置に持っていて前に座っている人の膝を水滴で濡らしたり

といった持ち方が話題になるが、

石突の部分を地面につける、地面の方を向けるというのも

かみしもの感覚が関係してくると思う。

かみしもの区別の感覚が無い人にとっては些細なことなのだろうが

本来の日本人としての感覚が薄れているようで空恐ろしくなるし、

自分の親もそう感じて自分にしつこく言っていたのかなと今にして思う。

もしかしたら、神棚のある家が少なくなってきたというのも

かみしもの区別がつかなくなってきた理由なのだろうか。

神様だから神棚は上に作るし、一番上に作れない事情があれば

天井に雲を貼る。

結界という考え方があれば、家に入る前に

江戸時代のように足を洗うまではしなくとも穢れを祓い

手を洗い清めて部屋着に着替えるのが当たり前だと思う。

雨は嫌いではないのだが、傘や靴の扱いを見ていると

雨の日の電車は、そんなことをつらつらと考えてしまうのだ。

#blog

常に刹那的に生き続けられるなら、それは 生涯幸せ なのかもしれない

今、NHKのドラマで『トクサツガガガ』というのをやっている。名言の連発だと聞いて興味が出て見てみて、漫画も途中まで読んでいるところである。

それでちょっと思い出したことがあるので、書いてみる。

幼稚園の頃、遊園地でキャラクターショーがやっていて

大好きなアニメのヒロインものだったので観に行ったのだけれど、

私は可愛くない子供だったので「あぁ、着ぐるみだなぁ」と思ってしまった。

グリーティングが始まって親に勧められても「別にあれ本人じゃないし」と思ったし

子供たちと一緒に並ぶのが恥ずかしいと感じて、

でも親の勧めを無碍に断るのも良くないと思う程度には

やっぱり可愛くなかったので、渋々並んでサインをもらい、握手をしてもらった。

薄い布の手袋越しに伝わってくるほど熱く汗ばんだ手だったのを、今でも覚えている。

戦隊モノや仮面ライダーにはご多分に漏れずはまり、

幼稚園の頃の夢は「大きくなったら◯◯戦隊のピンクになる」だった。

そう言えばいつ頃から番組を見なくなっただろう。

小学生の頃にはもう見ていなかった気がする。

中の人がいると気がついてショック、という類ではなかったはずだ。

なにせ、布やプラスチックなのに切られると火花が出るのに違和感を覚えるほど

可愛くない幼稚園児だったので。

(あの音と火花で特殊素材感を出す思い切った演出、とても素晴らしいと思う。

初めにやった人天才だと思っている)

幸い「男の子の見るものなのに」と言うような親ではなかったので、

変身ベルトや合体ロボットも買ってもらって男の子たちと一緒に遊んでいた。

だが、ランドセルを選ぶとき黒を選ぼうとしたときは止められた。

目立つ、いじめられる、普通女の子は赤だよ、といった理由だったと思う。

私は幼稚園まではピンク色やレースのふわふわしたものを好んでいたが

いつ頃からかそういったものが恰好悪いと感じるようになり

青や黒のものを選ぶようになっていった。

未だに私の事をよく知らない人からは、

似合いそう、と言ってピンク色で大きなリボンのついたものなどを

いただくこともあり、実は困ることがある。

周囲の人から見る私のイメージカラーは、ピンクや紫らしいのだが、

本人はそうした女の子っぽいものを避けるようになり

中学生になった頃には制服以外でスカートは穿かず、

ショートカットでジーパンを好んでいた。

女嫌いで、男に生まれたかったとずっと思っていた。

(これは今でも思わなくはないが、女は女でいいなと思えるようになった)

しかし変身ベルトを買ってくれた親でもこれは許してくれなかった。

恰好良いと思っている服装を、不良のようだと罵られた。

当時好きだったバンドも、目の敵にされてしまい

泣いて頼んだが一度もライブに行かせてもらえなかった。

グッズを家に置いていると、写真集を破られたり録画を消されたりするので

中学校の自分のロッカーに避難させていた。

今にして思えば人生において唯一人の、同じレベルでオタク話ができる

同じものが好きなオタク友達との付き合いも、

あの子の悪影響で娘が不良になったのだパターンで邪魔をされ、

疎遠になってしまった。

そう言えばあの子は元気にしているのだろうか。

一度だけ電車で会って普通に挨拶してきてくれたのだが、

私は親が彼女の親を通して何を言ったりやったりしたのかと思うと

後ろめたくてうまく言葉を継げなかった。

そんな不遇の中学・高校時代という暗黒の時代を抜け、

一人暮らしをするようになって、狭いワンルームにポスターを貼った。

堂々とCDをかけて歌っていても怒られない、正に自分の城だった。

そして、遂にチャレンジしたのがライブである。

初めは尻込みしていたのだが、バイト先の先輩に

「一人で行く人なんていっぱいいるよ、大丈夫。折角だから行けばいいのに!」

と言われて素直に感化され、早速次のライブはチケットを取って行ってみたのだ。

初めて行ったときは流石に緊張した。

でも、この周りにいる数百人の人たちがみんな同じ人が好きな仲間なんだという事実に、

それだけで胸が熱くなったし、生で聴く音は大変恰好良かった。

それ以降味を占めて、東京公演は必ず行くようになった。

因みに、先輩に「お蔭でライブ行けました」とお礼かたがた報告したら、

「本当に行くとは思わなかった、危なくない?」と大層驚かれた。

傍から見ればふりふりのドレスが似合う弱そうで小さい女の子が

たった一人でダイブもモッシュもあるライブハウスに行ったと聞いたら

確かに驚くかもしれないと今から思えば思わなくもない。

が、あなたが行けって言ってくれたのに。笑

このバンドについてはネットで知り合った人で気の合う人が

ひとり、ふたりはいたのだが、住んでいるところも遠かったし

なかなか自分と同じテンションで好きな人というのは限られてしまうもので

一年ほどで2人ともこのバンドのファンを卒業してしまった。

当時今くらいSNSが浸透していれば、もう少しゆるゆるとでも

付き合いが続いていたかもしれないが。

未だに、自分のオタクに付き合ってくれる友人はいるが

同じ深度で沼にはまっている友人がほぼいないので、

リアルな友人関係で誘い合ってオタ活ができる人は大変羨ましい。

一緒に推しを見て、その後語り合うというのはやっぱり最高だと思う。

中学生の頃、マイナーなバンドが好きな友人同士で

掲載されている雑誌を割り勘で購入し、

それぞれの自分の推しが載っているページを破り取って分けあっていたことがある。

大人になった今、雑誌を一冊まるごと買うくらいの甲斐性はあるわけなのだが

やっぱり一人で買って読むよりも、みんなで一緒に楽しんだ当時の方が

楽しかったような気がする。

ライブやお芝居に一人で行くのは慣れたし一人の気楽さもあるけれど、

帰り道はこの感動を誰かと語り合いたい、

誰彼構わずツアーのショッピングバッグを持っている人を捕まえて

感想を言いたいし聞きたいと思うことはしょっちゅうだ。

年齢を重ねれば重ねるほどオタク仲間を見つけるのにはいろんなハードルがある。

オタク活動自体がそもそも大変だったりもするわけなのだけれど、

好きなものは好きなのだから仕方ない。

良い歳してみっともないと言われようとも、適正年齢のときには

あのコンテンツもこのコンテンツも存在しなかったのだから、

今を楽しむのみなのである。

#blog

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%84%E3%82%AC%E3%82%AC%E3%82%AC-1-%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E4%B8%B9%E7%BE%BD-%E5%BA%AD/dp/4091866069/ref=as_li_ss_il?SubscriptionId=0AVSM5SVKRWTFMG7ZR82&linkCode=li2&tag=asairtheusumu-22&linkId=9a00c7358e5432a799100f9f8113d01a&language=ja_JP

見た目の話

 私が生まれたときの写真は、親族中で「父親にそっくり」と評判だったらしい。撮られた時代がわかる要素を排除すればまったく区別がつかないレベルで瓜二つだと言われていた。

 くりっとした目や柔らかい眉毛など、顔のどのパーツを取っても確かに父親似である。食事の好みも父似だったが、黒子の多さは母似だろうか。体型などは母親似に育った。母方一族は私が知る限り先祖代々小柄である。そして身長も手伝って、若く見られることも多い。

 小学生くらいまでは年齢相応か寧ろませていると見られることが多く、自覚的にも父親似だった。

 中学生の頃、母の代理で父と会合に出席して、母に間違われたことはある。

「そっくりだけど(子供過ぎて)何か違和感があった」と言われた。

 高校生の頃、母のお使いで初対面の方へ届け物に行った時、先方が気づいて声をかけてくれ、

「お母さんにそっくりだからすぐわかったよ!」と言われたこともある。

 しかしそれでも自覚的には父親似だったし、母の方でも「別に私たちそんなに似ていないよね」という感想だった。

 ところが二十歳を過ぎ、家族旅行で撮った写真を整理していた時のこと。自分の写真だと思ったら母の写真だったことがある。それくらいから、自分も母も互いに「似てきたよね」という実感が出てきた。パーツは相変わらず父似のままだと思うのだが、全体の雰囲気が母に似てきたようなのだ。背格好だけではなく、醸し出す何かが似通っている。

「母に似ていると言われる」をいう話を知人にしたら「それは嫌だね!」と返されたことがあるのだが、自分は寧ろ嬉しい方だった。

 小柄で可愛らしく手先が器用で料理上手。小さい頃は母が手作りしてくれた服を着ていた。ワンピース、ポシェットにヘアゴムも全てお揃いでとても嬉しかった覚えがある。お洒落でセンスも良かった。

 白いワンピースに麦わら帽子を被って、手作りのお弁当が詰まったバスケットを持って海へデートしに行くという、今思えば少女漫画に出てくるような女子力の高い女子だった。

 残念ながら多分その辺りは似ていない。見た目にそぐわずサバサバしているところだけはよく似ている。

 若く見られるのはまぁ良いとして、おとなしく見られるのは母と私共通の悩みでもあった。おとなしい、だけなら良いのだが、それで舐められることが非常に多かったからだ。ならば見た目で威嚇しようと髪型や髪色、服装を変えてはみるのだが、全く効果はない。

 本人たちはヒグマの威嚇くらいのつもりが、傍からはレッサーパンダの威嚇にしか見えていないのだと思われる。

 近頃はいい加減歳を重ねて、十代に間違えられることはなくなり、痴漢に遭うことも少なくなり、舐められ具合も昔ほど酷くはなくなってはきた。

 それなりに童顔な方だとは思うが最近はみなさん若々しい方も多いので、年齢相応かやや下くらいに見えているのかなと自分では思っているのだが、先日食事をしていたカフェで学生に間違えられた。お世辞かと思ったら、大真面目に「もうお仕事されてるんですか?」とかなり驚かれて、逆にこちらが驚いてしまった。

 ただ、その後鏡を見たら目がキラキラ、お肌ツヤツヤ、大変幼い顔になっていて、確かに学生に見えなくもない我ながら驚愕の幼さで映っていた。

 久し振りのフリープランの一人旅を満喫して良いものを見て満足していたのが要因と思われる。

 反対に疲れているときは自分でも驚く不細工さで鏡に映ることもあるわけだから、これは努努気をつけなければならない。

 必ずしも若ければ良いとは思っていないが、若々しく楽しそうに、明るそうに見えている方が良かろうとは思う。常時は無理でもできるだけ高い頻度で良い笑顔でいられるように、良いものをインプットし、またアウトプットしていきたいものだと思う次第。

#prose #blog

絵本の記憶

 この数年、絵本が流行っているという。特に大人に流行っているのだとか。

 斯く言う私も、『翻訳できない世界のことば』など気になったものは数冊購入した。

 ただ、小さい頃読んだ絵本の記憶は正直言うとあまり無く、世間で言われている有名な絵本はいまいちピンとこないものが多い。

 私は結構な活字中毒である。文字があったら読まずにはいられないし、暇な時間があれば使う予定がない商品の説明書でも兎に角読み始めてしまう。活字が好きなのは人生においては多分、嫌いな人に比べたら生きやすいだろうという母の配慮のお蔭で、相当早い時期から毎晩寝る前に絵本の読み聞かせをしてもらい、続きを夜まで待てなくて自分で読み進めるようになった。初めはひらがなしか読めなかったが、ルビがふってあれば漢字が入っていても大丈夫だったし、難しい言葉は訊いて教えてもらった。そしてお話を読み終えたら、それを誰かに読み聞かせるのも好きだった。音読するとまた違った印象になるし、理解も変わってくるからだ。本の中に書かれていなかったことや、その後の物語について空想してみることもあった。それをノートに書き留めて親に披露してみたり、ぬいぐるみに話したりした。時にはぬいぐるみたちを役者に見立てて、芝居仕立てにしていたこともある。

 夏休みに十冊は本を読みなさいという宿題で困ったことがないし、読書感想文で困ったことと言えば文字数を削って制限枚数内に収めること、そして子供らしい表現に留めなければならない点だった。要するに、可愛くない子供ではあっただろう。自分の年齢が対象の本はすぐに幼稚っぽくてつまらないと感じるようになり、まだ絵本を読んでいるべき年齢なのに小学生用のハードカバーを読んでいた。そんな訳で、あまり絵本を読んだ記憶がないのかもしれない。

 数少ない記憶に残っている絵本と言えば、『三びきのやぎのがらがらどん』。トロルがなにかわからなくて、自分の妄想の中でどんどん恐ろしいものに膨らんでいった。その後指輪物語などのファンタジーを読むようになって、トロルがあっさり理解できたのはこの絵本のお蔭かもしれない。

 それから、もう一冊は『くるみ割り人形』である。親の仕事の都合もあり、旅や帰省は船や寝台列車を使うことが多かったので、その移動時間の為に新しく本を買ってもらえるのも楽しみの一つだった。駅の売店や近くの本屋で一冊買ってもらう。ある時選んだのがくるみ割り人形だったのだ。記憶に残っているのはストーリーよりも、くるみ割り人形である。家にはプライヤーのような形のくるみ割り器しかなかったので、人形でくるみが割れるというのがとても新鮮だった。そしてイラストの描き方も相俟って兄が憎らしくて仕方なかった。兄にどうにかして天罰を与える空想をしていた記憶があるので、やっぱり可愛くない子供だった気がする。

#prose

https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=asairtheusumu-22&language=ja_JP&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4422701045&linkId=1ce74157889fc5e435400f173d5ffa26

https://rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=asairtheusumu-22&language=ja_JP&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4834000435&linkId=d4877da5c5ea939e25262a5b9df15123

人と刀の関係性 – 守り守られ生きていく

先日、三島へ行ってきました。

目的は佐野美術館の『REBORN 蘇る名刀』。

初めは面白そうな展示だけれどちょっと行けないかなと思っていたのですが、

日帰りでも行ける、お散歩にも良い町との情報をいただき三島行きを決意。

折角だから平日にゆっくりと行きたいなと思い

お仕事を調整して休みをとり、前乗りしました。

仕事を終えて真っ直ぐ東京駅へ。

早めに予約していたこともあり、お値段変わらなかったので

グリーン車です。

しかもほぼ貸し切り状態でした。

#うちのひっかけぷちを見てくれ

事前に得ていた情報で、田舎です、なにもないですと聞いていたので

そういう想定をして行ったのですが、

地元北海道の「なにもない」を想定していった為、三島駅に降り立ってみたら

全然都会でした。(笑) コンビニがある!

まずはチェックイン。ドーミーイン三島さんへ。

系列初めて泊まったのですが、テレビで大浴場や食堂の混雑状況がわかるの素晴らしいですね。

潔癖症で大浴場は修学旅行でやむを得ず入った以外避けてきたのですが

今回はお部屋にはシャワーブースしかついていないし

折角だからと大浴場へ行ってみました。

最近の大浴場は洗い場に仕切りもついているし、2、3人しかいらっしゃらなくて

のんびりできました。

流石温泉、ほかほかに温まりこの夜は短時間睡眠ながら熟睡。

水と言えば水道の水も美味しくて嫌な臭いも味もなく、

顔を洗うときでもストレスがなくて、水の綺麗な田舎出身者としてはとてもありがたいです。

都会だと時々口を濯ぐのも嫌なときがあるもので…。

お部屋が最上階だったこともあり、日の出が綺麗に見えました。

早々にチェックアウトしてまずは三嶋大社へお詣り。

御朱印も頂いてきました。

中には神鹿園が。大正八年に、町の発展を顕著にする為奉納したいという

三島呉服木綿商組合さんの尽力で、

奈良の春日大社から譲り受けた鹿さんたちだそうです。

町の中は豊かに水が流れていて、鴨や鷺がいて穏やかな雰囲気でした。

これは噂の先日風邪を引いてお休みしていた子たちでしょうか。

10時の開館に合わせて佐野美術館へ。

10人ほど並んでおられましたがほぼ女性でした。審神者率も高いのでしょうか?

中にはパネルもあって、写真撮影している方もちらほら。

売店に甘酒があったのが面白かったです。

さて、お楽しみの刀の展示。

比較的空いていたので順繰りに並んでじっくり見ることができました。

単眼鏡を持参していたので、地鉄や細かい傷などもよく見えます。

単眼鏡、2、3人の方がお持ちでしたが是非広くおすすめしたい。

美術館や博物館、お芝居を見る時などにも大活躍しております。

小さくて軽くて片手でピントも容易に合わせられるし、

最近はとうらぶコラボやカラーリングのちょっと可愛いものもありますので

本当におすすめです。

Twitterで、「エモい」という感想を事前に見かけていたのですが

確かに一言で言うならエモい展示でした。

大坂城落城、明暦の大火、関東大震災などの数々の困難に巻き込まれ、

刀が割れ、焼けただれ、ぐにゃぐにゃになったり鉄の塊となったりして

元はどんな刀だったかわからないものもあります。

そうなってしまって捨てられたものもあったでしょうが、

そんな姿になっても尚保存されていた刀もあった。

捨てないでいてくれた人がいた。

そして、焼き直しという手法を用いて再生し、守り伝えられた刀がある。

この事実だけで感無量でした。

ぱっと見では美しく見える刀も、よく見れば刃こぼれや深い傷が残り

その刀がどんな目に遭って今ここにあるのかと思うと

申し訳ない気持ちや素直に悲しい気持ち、そしてよく残ってくれたねという気持ち

言葉にするとなんだか安っぽいかもしれませんが

胸に迫るものがありました。

刀は人を切る為のものではない。人を守る為のものです。

「刀は武器です。しかし守り刀として作られたものもあります」

こういった趣旨のことはよく耳にします。

しかし、私は少し違和感があるのです。

道場で師匠と向かい合うとき、真剣ではなく木刀であるのに身が竦みます。

犬だったら尻尾を股に挟んでぶるぶるしたくなるほど、立ち会っただけで怖いのです。

本当に膝が笑い、身の毛がよだつのです。

それが強い人の力です。

そこに在るだけで無用の争いを避けることができ、周囲に安心を与えることができるもの。

刀は人を切る為のものではない。人を守る為のものだという意図はここにあります。

抑止力と言い換えてもいいのかもしれません。

人が刀を作り、刀が人を作ります。共に鍛錬し、修羅場を乗り越え

刀が人を守ってくれます。

単に切り伏せて守ってくれるだけでなく、傍にあることで力になってくれますし、

共に修行した日々が自信になってくれます。

そしてまた人が刀を守り、伝えていくのです。

焼けただれて曲がった刀を残そうという気持ち。

そして残して焼き直しをしようという気持ち。

焼き直しにはもちろんコストもかかりますし、

直したいと思うほどの刀への愛と、直すほどの価値、それを信じる気持ちも必要です。

再生された刀を多くの人が見たいと思って集まれば

焼き直された刀たちの価値もより高まるでしょうし

そうなれば次の世に残り伝えられていく可能性も高くなります。

少なくとも平成の次の元号の世には、刀がこうして

まだ守り伝えられていくのだと思えたことがとても嬉しかったです。

また、常設展示室「男の粋(いき)―装身具にみる」も楽しみのひとつでした。

筥迫や印籠、矢立などの小物がとても好きです。

レプリカをグッズとして販売してくれたらいいのになといつも思います。

見事な細工が、見ているだけでワクワクします。

図録も購入しました。

鞄のノートPC用ポケットに入れて大事に持ち帰ったつもりでしたが

表紙にちょっと傷がついてしまい悲しい。

でも繰り返し見ている内に大なり小なり傷はついてしまうと思うので

仕方ありませんね。

美術館の後は市内を散策。

カフェ・バンマリさんでランチを頂きました。

とっても素敵なお店でした。

楽寿園も伺い、郷土資料館や動物園を見て回り、

久し振りにのんびりできて楽しい旅になりました。

今回初めてスマートEXを利用したのですが、とても便利ですね。

本当に改札を通れるのかな…と往路は少しドキドキでしたが

当然ながら問題なく乗れました。

みどりの窓口に行かなくても良いし

手元に紙の切符がある訳ではないので

変更も簡単でとっても楽ちん。

またJR東海を利用する時には使いたいです。

郷土資料館が思ったより早く見終えられたので

復路は少し時間を早めてひかりでサクッと帰りました。

三島はちょっとお洒落な路面店が沢山あって、お茶をするにも目移りしました。

京都白川や東京の日野用水、長野の白川郷など、

水が流れる町というのはとても素敵です。

どこか心が落ち着きますし、空気も澄んでいる気がします。

また機会があったら行ってみたいです。

#blog #travel #刀剣乱舞 #三島とうらぶ

覚悟とチョコレート

小さい頃は、骸骨のモチーフは、なんとなくおどろおどろしいイメージがありました。

ロックとかパンクとかが好きな人が好んでつけているモチーフというイメージ。

でも、調べてみると世界中で、吉兆や輪廻など良い意味合いのモチーフとして使われていることが多い。

新選組局長の近藤勇さんも、稽古着に髑髏を刺繍していました。

古武術では決死の態度を意味するという話もあります。

しゃれこうべ 。風雨に曝された頭(こうべ)。そのままと言えばそのままですが、不思議な響きにも感じます。

不気味でもなんでもなくて、自分の体の中にあるもの。いつかはなる姿。

そう気付いた頃から、無意味に不気味がることがなくなってきました。

先日、チョコレート屋さんで骸骨のチョコレートを見つけました。

小さい骸骨が瓶に詰まっていて、スプーンで掬って、そのまま食べるも良し、

ホットミルクなんかに溶かしても美味しそうだなと思って

我が友の誕生祭の貢物にしました。

不退転。決死の覚悟。諸行無常。

ネガテイブに重くは捉えてはいませんが、多分日々に向かう姿勢としては

そんじょそこらの人から見たら

生き急いでいたり真面目過ぎたりして見えるかもしれない私たち。

普通に生きているだけなのに「なんでそんな深刻なの」と言われると

いや、普通ですけど…

時間は有限ですし…

と思って不本意ではありますが。

きっと前世でもこんな調子で。

今生でもまた巡り会えた貴重な戦友なのだと思います。

いつか共に事を起こして世界を変えたいと願いつつ

息を潜めて時を待っています。

ハチ公らしくお座りをして、伏せをして、

動きがあるとすわ散歩か⁈とすくっと立っているような感じ。笑

焦りはしません。全く焦らないというと嘘になるかもしれないけれど

歳を重ねて経験値を経て、今は魔王を倒す為のレベリングの最中。

多分、まだまだ旅の途中なのです。

今日も今日の自分にできることを、精一杯やって

いきたいと思います。

#blog