小瀬川の船渡し

 周防国と安芸国の国境を流れる小瀬川(おぜがわ)。中国山地を源流にいくつかの支流と合流しながら弥栄峡(やさかきょう)を経て広島湾に注ぐ。川幅も狭ければ総延長もさほどなく、決して大河ではない。しかし防長(ぼうちょう)以西の人間が西国街道で京師(けいし)や江戸へ向かおうとすれば、必ず越えていく。防長に生まれ育った者にしてみれば小瀬川を越えれば故郷を出ることになる。 
 小瀬川中流に、周防国岩国領小瀬村(おぜむら)と安芸国広島藩木野村(きのむら)という二村がある。船渡し場があり、まさに西国街道における防芸(ぼうげい)両国の要衝だ。

 慶応元年冬、川面の上を乾いた冷たい風が泳ぐ日だった。晴れてはいるが時折厚い雲が太陽を覆っている。
 周防側の小瀬村の二人が船渡し場の脇の小屋で番をしていた。その内の一人、忠蔵(ちゅうぞう)は張りのなくなった手を揉みながら繋ぎ止められた小舟を呆然と眺めていた。
「八郎、今日は暇じゃのう。わしらここにおる必要あるんかのう。寒うてやっとれんで」 
 忠蔵の横で読み物をしていた八郎は忠蔵のしわがれた声に顔を上げた。
「今日の番がわしらなんじゃけ逃げ出すわけにも行かんでしょう。寒いと思うけぇ寒いんじゃ、と父ちゃんによう言われました」
 忠蔵に対して八郎は若い青年で、凜とよく通る声で答えた後、火鉢の中で赤く光る木炭を確認して再び読み物に戻る。
「気持ちの問題で冬は温(ぬく)うはならんで、八郎。お前の父ちゃん、確か寒がりじゃったろう。そりゃ自分を言い聞かす言葉じゃないんか。火鉢じゃなぁて、薪(まき)で火を起こしたいくらいには冷えるのう。ちったあ動けばまだましなんじゃが」
 八郎は身を震わせながら饒舌に語る忠蔵に苦々しい顔を上げた。
「日頃は冬でも冷たい水に手を入れて紙をすいとる人が、寒い寒いと言うんは不思議な感じがします」
 一昨日降った雨の影響で水かさが少し高い上にこの寒さだ。徒渡(かちわた)りの多い武士以外の身分の者も船渡しを選ぶ割合が高いはずだが、言われてみればなぜか船渡しの自分が暇をしている時間が多いなと八郎は思った。町民の交通量が減ったと感じたのはこの秋以来だ。戦が起きると村の内外で噂になった頃のことだ。
 幕吏や諸国の大名などがこの地を通過していくことは、当然珍しいことではない。
 幕府の命を受けて書状を預かる飛脚を渡したことが八郎はある。しかし、あの秋に小瀬川を往来した幕吏、岩国領主やその家来の神妙な面持ちと物々しい雰囲気は、いつもにはない緊迫感があった。危機感と言っても良い。長州と岩国の家老が禁門の変での責任を取る形で切腹したという話はつい最近のことだ。
「この頃は長州のお侍さんらがようけ来なさったのに、今日はどうしたんじゃろうかね。本業の紙すきに戻りたいのは山々じゃ」
 忠蔵の言葉を聞いて、八郎は眉間に皺を寄せた。一抹の不安が胸の奥で色濃くなる感じを覚えたのだ。
「言われてみりゃ武士の方々の往来が増えた気がします。秋頃は戦の噂で農村民の交通量が減ったけぇお侍の行き来が増えたように感じとったけど、最近は単純に二本差しの方が多い気がする」
「長州じゃ内乱が起きるかもしれんらしいけぇのう。ご家老様が切腹したんじゃ。岩国はもとより、朝敵の汚名を一身に受けた隣藩長州の藩論が揺れるのも流れの内じゃろう」
 忠蔵は両手のひらを火鉢に掲げて鼻をすすりながら、白い毛の混じる眉を片方上げて八郎を見遣り、話を続ける。
「幕府への対応は必然防長の玄関口である岩国かこの川を越えた広島かになろうて。ほじゃけぇ難しい顔をしたお侍さんらの往来も増えとったんじゃろうのう。今日の暇は偶然じゃろう。神様仏様がわしらに下さったお暇(いとま)じゃ」
 そう言って忠蔵は目尻に皺を寄せて笑った。
 何も考えていないようで忠蔵には忠蔵の思いがあるのだなと八郎は意外に感じた。伊達に齢(よわい)だけを重ねているわけじゃないということなのだなと。
「そしたら、もし萩藩庁が強行な姿勢をとり続ければ小瀬村と木野村で長州軍と幕府軍が睨みあうような事態になるんじゃろうか」
 八郎は呟くように不安を口にした。しかし、そんな不安を笑い飛ばすように忠蔵は言い放った。
「んなわけないじゃろう。あんまり何度も口にすることじゃないが、ご家老様が腹を切られとるんじゃ。長州だけじゃない、岩国も。幕府への恭順の意に他ならん。黒船のことやら血生臭いことが立て続けにあったもんじゃけぇ、八郎は神経質になっとるんじゃろう」
 あまりにも朗らかに忠蔵が笑うので、八郎は自分の思いが杞憂なのだろうと思えた。忠蔵の言う通りだ。なんの為の切腹だ。戦国乱世から二五〇年余り続く幕府の下に築かれた天下泰平の世の中が揺らぐはずがない。
「ほうら、お客さんだぞ。いきなり増えたなぁ」
 窓越しに忠蔵が船着き場を顎で指し示しながら言う。忠蔵は寒くて出たくはないのだろう。八郎は「この怠慢オヤジめ」と内心で言い捨てから立ち上がり、屋外へ出た。船渡し場に二本差しの武士が三名ほど船頭を待っていた。小走りで八郎は向かう。
「お待たせしました。お勤めご苦労様です」
「よろしく頼む」
 自分と同い年くらいの青年たちだった。歳も近く仲が良いのだろう。笑い話をしながら船へ乗っていく。訛りから察するにこの辺りの武士だろう。
 八郎は全員が乗船したのを確認すると舫(もや)いを解いた。棹を川底へ押し当てて出航した。増水しているとは言え、川の流れは緩やかで常日頃と相違なさそうだ。
 太陽は南天を過ぎやや西へ傾いた頃だった。今日一番の暖かさを肌に感じながら八郎は船を進める。 
 ふと上流の方を見遣る。川幅二十間(けん)強とは言え山に囲まれてはいるが、河川の両岸を含め広い空間だ。雲が落とした影が川を跨いで木野村に向けられた大砲たちを越え、小瀬峠の冬の森へ過ぎ去って行く。
「小瀬の砲台は今日も今日とて威圧的じゃのう。あれじゃあ砲門を向けられた木野の村民はもちろん、小瀬の民草も気がおけんじゃろう」
 若い侍衆のひとりが八郎に声を掛ける。
「お侍さんらが険しい顔してあげな砲台を村に築きなされれば、一体何事かと村民や人らは思うておるでしょうなぁ。防長は戦になりましょうか」
 八郎は戦の噂以来、自分が感じてきたことを言葉にして告げた。上級武士でも諸隊の幹部でもないであろう若い侍らに萩藩庁の意思や藩政の行方を知る由もないであろうが、尋ねずにはいられない。
「我が殿はもとより、吉川監物(きっかわけんもつ)殿も自ら事に当たられとると聞く。万事ぬかりなく事は進められるであろう。士農工商問わず防長二州に住まう我々が常日頃の勤めを全うすることが、ひいては殿らをお支えすることになる。腐敗した幕府らが例え攻めて来ようと……」
 問いに答える最前に座る武士の肩に手を乗せて、その後ろに座る色黒の侍が話を遮った。
「話し過ぎじゃ。先の事は神や仏でもわからんものじゃ」
 日の暖かさも忘れる川面の冷気も手伝ってか、平和とはほど遠い大砲の姿と彼らの言葉にはやはり胸騒ぎを覚えずにはいられない。
 川の中間地点で対岸からの渡し船とすれ違う。顔見知りの船頭に会釈をした。あちらの乗客は二名。笠を深く被っているので顔は見えない。腰に刀が見えたので武士身分なのだろうが、身なりが随分とくたびれているように見える。最近多いと聞く脱藩浪士であろうか。しかしその背中はやけに大きく感じられ、懐の広さ、器の大きさすら感じられる気がするようだ。
 すれ違う乗客の二人の内一人が少し顔を上げた。切れ長の目に通った鼻筋が特徴的で、眉目秀麗という言葉が相応しい顔がちらりと見て取れたが、その表情は固く、対岸の小瀬村を瞬きせず見つめていた。 
 八郎はすれ違う船を背後へ見送って自分の船を更に進めた。
 移ろいで行く世の中は、川の流れの如く過ぎて行けども戻りはしない。黒船、開国、尊皇、攘夷。そんな言葉を巷で耳にしなかった時代が終わり、諸藩や尊攘志士らが国を憂う時勢。交通の要衝、歴史を紡ぐ武人は行きも帰りもこうして小瀬川を渡る。

切手のない手紙 #5

もうひとつの『池田屋』

 彦五郎は手早く羽織を脱いだ。手にしていた大刀の先に引っ掛けると、階段の上の方に徐ろに突き出した。日も暮れた宿屋の廊下。既に襲撃を察知し市次郎をピストルで撃って殺気立っている薩摩人達は、羽織を新手と勘違いして撃ちかけてきた。ぱんぱんと乾いた音がする。階段の上で待ち構えているのだ。薄暗い中に閃光が弾ける。
 音が鳴り止んだ間隙を縫って、彦五郎は素早く階段を駆け上がり、上にあった行燈を斬り倒した。辺りはぱっと闇に包まれ、時折短銃の音が響く中、二十人近い男たちの乱闘が始まる。数の上では倍近い人数がいた薩摩浪士たちは、仲間が二人斬り倒された時点で窓を破り逃げ出した。
 時は慶応三年十二月。十月に大政奉還が行われた。一体新選組はどうなるのかと気を揉んだ彦五郎だったが、別条なしとの連絡が入ってひとまず安堵したものの、翌日には近藤勇の義父、近藤周斎が病死し、勇と義兄弟の縁もあり、葬儀に参列した。
 その頃、薩摩の浪士隊は、江戸で挑発行為をして治安を悪化させ、幕府を怒らせて、向こうから手を出させようと画策を始める。江戸三田にあった薩摩藩江戸屋敷にはたくさんの浪士が集結していた。彼らは勤皇活動費として豪商から大金を巻き上げ、捕吏に追われると薩摩藩邸へ逃げ込むと言うあからさまな挑発を繰り返す。江戸中を荒らし、狼藉を働きつつ、江戸から西に移動していった。江戸幕府の軍事的拠点と言われる甲府城を乗っ取ろうと、甲州街道を進んでいたのだ。 
 代官からの依頼で、日野宿の名主佐藤彦五郎が助力を請われ、佐藤道場の剣士たちは目明しと共に、薩摩浪士のいる八王子宿の「壺伊勢」こと伊勢屋に乗り込んだのだった。幾人か捕り逃したものの、数日後に潜伏しているところを発見もした。味方より人数の多い敵が集まっているところに斬り込んでいったこの件は、まるで多摩の池田屋みたいじゃないかとおれは思っているんだよと、彦五郎は言った。彦五郎にしてみれば、勇たちが浪士隊として上洛したとき、名主の仕事がなければついてきたかったと思っていたほどの男だ。日頃勇と義弟歳三、馴染みの天然理心流同門の仲間たちの都での活躍を、はらはらしつつも羨ましく見守っていた。今回は甲陽鎮撫隊を任された勇たちに、自分も春日隊を率いて共に戦うつもりだった。
 すっかり立派になって大名のような出で立ちの勇に、自分は自分でここで頑張っている、だから足手纏にはならないというつもりで話したのだが、勇は彦五郎の話を聞いて驚いた。
「鉄砲とやりあうなんて危な過ぎるよ。おれだってまだやったことないよ」 
 それを聞いて、彦五郎は笑った。
「そうか、ならそこはおれの勝ちかな」
 そう言われて、勇も笑った。
「そうだな。おれの負けだ」
 その後、少し寂しそうに続けた。
「鳥羽伏見におれは出られなかったけど、歳(とし)が言ってたよ。もう刀や槍では戦えないって。もう、そういう時代ではないんだな」
「………」    
 勇は普段は飲まない酒を、地元の皆が凱旋と出陣の祝いで出してくれているので飲んでいた。 
 鳥羽伏見の前に肩を鉄砲で撃たれた勇は、まだ怪我が治っておらず胸のあたりまでしか腕が上がらなかった。酒を煽ろうとすると、ずきっと痛みが走る。
「大丈夫か、傷の方は」 
 顔を顰めている勇に、彦五郎は少し声を潜めて尋ねた。勇はにこりと人の良い笑みを浮かべる。
「なに、 右手が使えなくても左手があるよ」
 と、盃を左手に持ち替えて酒を飲んだ。
 ふたりは、顔を見合わせて笑った。 
 この先ふたりに待っている戦いは、砲や銃を相手にする戦いだ。開国の影響で治安が悪くなり、強盗や放火が増えた自分の村を自衛しようと、みなに刀を握らせようと彦五郎が作った道場に、勇が出稽古に来てくれていたあの日々。彼らの絆の始まりであったあの日々が、今はとても遠かった。
「随分遠いところに来ちまったよな」
 思わず彦五郎が呟くと、勇には伝わったらしい。
「そうだな」
 とだけ、答えてまた酒をあおった。
 開国の波に揉まれ自分たちの足で踏ん張ってきた彦五郎と勇は、今度は幕府の瓦解という時代の波に、またも揉まれることになるのだった。

切手のない手紙 #6

おかしらつき

 小さい頃からいろんな本を読んでいた。もう今ではなんという本だったかも思い出せないが、晩ご飯の食卓についた主人公の少年が 「わーい、おかしらつきだ!」 と叫ぶシーンがあった。

 おかしらとは頭だとは思ったが、なぜそれがそんなに飛上がるほど嬉しいのか、当時の私にはわからなかった。母に聞いて、頭と尻尾がついたまるまる一匹の魚のことだと教えてもらったが、それがどうして特別なのか理解できなかったのだ。晩ごはんに秋刀魚や鮎なんかが、まるごと一匹出てくるのはよくあるのに、そんなに特別なことなのだろうか、と。

 言葉の意味というのは、上っ面の意味だけで理解できるものではなく。尾頭付きの特別感が理解できるようになったのはだいぶ後だった。

 昔は冷蔵技術が今とは異なっていたこともあり、まるまる一匹の魚を一般家庭で用意するというのは大変だったのだ。

 大変貴重でもあり、切り分けられていないこと、「一つの事を初めから終わりまでまっとうする」ということから縁起も良いとされていた。

 だから、結婚式やお食い初めなどハレの日には尾頭付きが使われる。

 頭が左側なのも、左の方が上位だから。

 そう言えば、家の雛飾りはお内裏様が左側だった。向かって左にいるのがお雛様。地元の友人たちには「逆だ」「おかしい」とよく言われた。

 日常の何気ないところにも、長い歴史の中で培われたことが根付いている。

 それは、とても美しいことだと思うのだ。

旅の色

 旅が好きだ。

 誰かと旅するのも、ひとりで旅をするのも好きだ。

 旅の何が好きかと言えば、自分の知らない町を知ることができることだ。

 知らない町に知らない人がこんなにたくさん居て、生きている。

 そう思えること自体が興味深い。

 電車や飛行機で移動するだけでも、夜間に星のように散らばる家々の明かりを見るだけでもそう思う。

 誰かの為につけられた軒先の明かりや、ベランダに置きっぱなしになった三輪車を見ると胸がきゅっとなるのだ。

 旅で訪れる町は、どこか色が薄く見える。

 それもまた、旅の醍醐味だと思っている。

 薄くて目新しい。

 そしてその場所に滞在する時間が伸びれば伸びるほど、色は濃くなっていく。

 これは引っ越したばかりのときも同じだ。

 住み始めた時と、住み慣れた時では見える景色が違う。

 色濃くなり、自分の世界と同化していく。

 特定の場所に住まずに旅しながら暮らしている人は、世界中が色濃く見えているのだろうか。

 それとも、全てが目新しく見えるのだろうか。

手袋を嵌める時

 手袋を嵌める時。それはいつだろうか。

 寒くなったら。冬になったら。でも、それはいつからだろうか?

 最近の天気予報は便利なもので、服装のアドバイスもしてくれるものが多い。今日はトレンチコートが必要、厚手のコートがいいですよ、という感じなので、上着についてはその助言に従って選んでいるのだが、手袋を出すタイミングがいつも掴めない。

 ある時、無意識に、雪が降ったらするものと思い込んでいるせいだということに気がついた。北国では手袋がなければ指先は容易に凍える。手袋無しでは歩きながら雪玉を拵えることもできないしので重大な機会損失である。

 ところが雪が降らない地方では、そもそも雪が降ることが少なく、あっても非常に限られている。雪を基準にしていては、そもそも手袋をすること自体の機会が損失されてしまう。

 雪が降らないということは、そもそも雪が降らない程度には暖かいということなのだから、手袋は必要ないのではなかろうか。そんなことを考え出すと、ますます手袋をする機会が失われていく。

 同じく北国在住経験のある友人にこの話をしたら、

「たとえ周りの誰ひとり手袋をしていなかったとしても、手が冷たいなと思ったら手袋のしどきよ」

 と助言をもらった。

 確かにそのとおりだ。そのとおりなのだが、今の所冷たいけれどそこまでではないという感覚であり。未だに手袋をクローゼットから取り出してもいないのである。

 この季節は、雪が恋しい。

忘却の彼方

創作庵月雪花 (著), (巴乃 清, 愛月 律馬)

落としたもの。それは、初恋の記憶。

《あらすじ》
杉浦啓は、他人の落とした記憶が見えてしまう目を持っている。
そんな彼の唯一の理解者は、幼馴染の松元兼司。
大学生活最後の秋の連休、啓は兼司に北海道旅行に誘われた。落し物捜しに付き合ってくれというのだ。
もちろん、ただの落し物ではない。それは、兼司が小学校五年生の時に落とした淡い初恋の『記憶捜し』だった。

Kindle版 500円
※Kindle Unlimitedの方は無料でお読み頂けます。

紙書籍版 600円

試し読み (カクヨム)

秋の装い

 秋になると、何を着ていいかわからなくなる。毎年のことだ。何故なら、生まれ育った北国は温かい日と寒い日しかなかったからだ。

 そうは言っても東京に住んでそれなりに経つので、少しずつ『本州の秋』に対応できるワードローブは増えてはいる。増えてはいるのだが、本州の秋を読み切る心持ちがないのである。北国育ちにとって、寒いというのは命に関わるレベルの話だ。寒い=雪が降り、吹雪けば家の近所でも遭難することが可能なのだ。

 上京してすぐはつい地元にいるときの癖で、厚着をしがちだった。寒くてコートを着たら、中はもこもこのセーターなのである。しかし東京の人は、コートを脱いだらお洒落なフェイクファーのついたキャミソールだったりするから驚きだ。寒いなら厚着をするべきだ、という本能の叫びに耳を塞ぎ、自分の感覚で言う肌寒い夏の日の服装に上着やストールを足すくらいが丁度よいらしい、とわかってきたのは割と最近のことである。朝家を出て寒いと思ったら慌てて上着を取りに帰っていたが、今はそれをしなくなった。肌寒いくらいが丁度よい。日中に太陽によって空気が温められるだけでなく、都心は人いきれや排熱で思ったより温度が高くなり、蒸し暑くなる。

 そうした経験値を得るまでにだいぶかかった。今までの常識を捨てるのに時間がかかたっと言うべきか。九月に入ればもう秋でまもなく雪が降るという感覚だったので、秋の紅葉も九月だと思ったまま、関東であちこち紅葉狩りに出かけてはまったく紅葉していなくて失敗したことも屡々。都会の秋は十一月なのだ。十月も半ばだが、コートにはまだまだ早い。

 薄い長袖に上着、でも満員電車では暑くなる。かと言って満員電車だからと冷房が入っていて、吹出口の直下だと寒くて堪らない。都会の温度調整は難しい。まだ半袖を着ている人もいて、中には自分と同じ寒がりなのか既にジャケットを着ている人もいて。いろんな服装の人が入り交じるのが、都会の秋の光景のひとつだと思う。

板の上で生きる人

 芝居というものが好きだ。自分が芝居を囓っていたこともあって、真剣に役者をしている人にとても惹かれる。中でも、舞台役者が特に好きだ。

 芝居というのは難しいもので、テレビドラマで上手に役を演じられる人がアニメの吹き替えがうまくできるとは限らないし、舞台役者が映画用の演技ができるとも限らない。(その場に合った演技に合わせることができる器用さのある役者は、違うジャンルに行っても成功するわけだ。)種類が違うからだ。

 ドラマや映画なら、物語は一度で終わる。リテイクなどはあるにしろ、物語の流れ自体は普通一度だ。しかし監督のやり方にもよるが、撮影は物語の時間軸通りではなく、効率の良い順番で撮られていく。

 これに対して舞台は、物語の時間軸通りに過ぎていく。役者と観客は同じ時間の流れを同じ時間で共有する。役者が一分間笑い続けていたら、客にとっても役者が笑っているのは一分。叫んだら、劇場の空間自体が震える。これが生身の演劇の面白さだと思う。

 そしてもうひとつ大きく違うところ。毎日同じことを繰り返すということだ。

 映画などでもリハーサルなどはあるし、個人でセリフを返すことはある。

 だが舞台は何日も稽古を繰り返し、本公演が始まれば始めから終わりまでを毎日、多ければ一日に二度三度と繰り返す。

 何度も同じ人生を生き直すのだ。

 毎朝鏡に向かって「おまえは誰だ」と言ったり、毎日同じ時刻に泣いたりすると精神異常をきたすという話がある。

 舞台演劇というのは、言ってしまえばこの行為に近い。毎日自分ではない人になって、知っているはずの知らない人と話す。毎日毎日、自分ではない誰かの人生を繰り返し生きるのだ。謂わばループである。

 だんだん自分が誰かわからなくなって怖くなった、と役者をやめる人もいるくらいだ。

 ループものがSFやミステリのジャンルとして存在するほどだから、怖くなるのも当たり前だと思う。

 自分は素人演劇なので大したことはないが、それでも台本をもらってから本番が終わってしばらくあとまでは、

役のキャラクターが抜けなかった。常にもう一人の自分がいてその言動の癖が抜けなくなる。自分が喋っているようでいて、そうではない感覚なのだ。

 初恋をして裏切りに遭い、友を失い、大切な人を亡くし、自分も殺されるような人生を、二時間程度に色濃く凝縮した物語の中で毎日生きる。

 一言で言うなら、 壮絶 である。

 役者と言ってもいろんなタイプの人がいるから、板から降りれば素の自分に戻れてしまう人もいれば、私生活もずっと役に引っ張られるという人もいる。

 あまりにも凄まじい役を演じていた方がインタビューで前者のタイプだと答えておられて安心したり、反対に後者で、期間中はプライベートでも笑えなくなってしまったと仰っていてそわそわしたりしてしまう。

 役者は手の振り上げ方ひとつとっても、演じている役がこれまで生きてきた人生を考え、その人ならどう手を挙げるかを考えて演じてくれる。

 台本にない、舞台の上でも描かれないその人の人生を、役者は知っている。

 逆に言えば、そこまでストイックに役を追い求めてくれる役者を尊敬するし、惚れざるを得ない。

 目の前で人が笑い、叫び、涙を流す。剥き出しの人生を垣間見る行為。

 凄い舞台を見た時は、見終えた後ぐったりしてしまう。これは、人の人生を手出しできない状態で見守るしか無い、全知全能ではない神や守護霊のような視点で間近で見るからなのだと思う。

 この感覚が、観劇に魅力のひとつだと思っている。

 ひとりの人間の生き様が、板の上には二時間に凝縮されて載っているのだ。

花を摘むひと

 自分の親は、中々ロマンチストであった。劇的な再会からの、君なしじゃ生きていけない系プロポーズ。父の机の引き出しには、若い頃デートした時に撮影した母の写真が手作りの小さな木のフレームに収まって大事に仕舞われていた。写っている母の姿がまた、腰まであるストレートの黒髪に白いワンピース、頭には麦わら帽子。手には手作りのお弁当の入ったバスケットという完璧さだ。

 これが普通だと思って幼少時は生きてきたので、友達に自分の親のことを話すと度々「うちの親はそんなことしないよ!」と言われていた。

 ある時友達を連れて実家に帰り、母が留守番をして父が運転手役を買ってくれて近郊を観光案内したことがある。車を降りて散策しているときに、原っぱにユキノシタが咲いているのを見つけた。

 父は、

「可愛い花だ。お母さんに摘んで帰ろう。お母さん花が好きだから」

 と言って少し摘んで持ち帰った。

 私はそうだねと同意していただけだったが、友は、優しい、ロマンチック! と驚いていた。

 ユキノシタは父の手によって持ち帰られ、母の手によって小さな花瓶に生けられて食卓に飾られ、暫く私達の目を楽しませてくれた。

 私は花は勿論のこと、父も母も、可愛いと思うのだ。